一九四五年の夏。戦争は最後の局面を迎えていました。
 私は毎日のように部下を率いて空に上がりましたが、あのハーロックとの一件以来、私の胸を躍らせるような撃墜王には、ついに出会えずじまいでした。
 代わりに私は、親英家としてこれ以上ない悲しみを味わうこととなります。

 

 その日、私の飛行隊には出撃の予定はなく、みな思い思いに体を休めていました。私が日光浴をしながら目を通した新聞や雑誌は、みな一様に戦争の終結が近いことを伝えていました。私は、ようやくあの忘れかけてしまった日常に戻れる見通しになったことを、素直に喜びましたが、しかし戦後に明るい見通しがあったわけではありませんでした。祖国日本の没落は決定的になっていましたし、私が愛する英国も、都市はことごとく焦土と化し、農村は男たちを兵隊に取られて疲弊しきっていました。当時を生きていた私たちは、戦後の英国が(あるいは中華共和国が)あれほど早く復興するなどとは夢にも思っておらず、むしろ彼の国はもう二度と立ち直れないのではないかとすら危惧していたのです。
 そう思うと、結局、自分たちはこの戦争で何を得たのか、答えるのが憂鬱な問いを発せざるを得ませんでした。確かに日本は中帝を退けて滅亡を免れました。英国の野心も打ち砕かれようとしています。しかし、あの強気な織田勝・戦時首相ですら、戦後にはこう述懐しています。
「第二次世界大戦の長い苦悩と努力の末に実現されたことは、一人の独裁者が、他の独裁者に代わっただけであった」
 これは、中帝とスボールを指しているのでした。たとえば、戦後の満州はスボールの手によって中帝から解放されたように見えましたが、今度はスボールの属国となることを余儀なくされました。中国北部では似たような光景があちこちに見られました。
 ちなみに、この織田勝氏ですが、英国が降伏する直前に行われた総選挙で大敗北を喫し、首相の座を降りています。
 最近でも、たまに外国人に会うと「なぜあの時、日本人はあんな投票を?」と聞かれることがあります。それに対して、私の答えは大体、次のようなものです。
「日本人は気づいたんだよ。織田勝はとんでもない戦争狂の帝国主義者だが、自分たちは違う、あるいは、違う自分になれる、なりたい、なるべきだ、ってことに」
 そして私は「それを気づかせてくれたのは、たぶん英国人だ」と付け加えたくなるのですが、これはいつも我慢しています。

 

 午後早くに、私たちは作戦準備室に招集されました。
 当直士官が手短に状況を説明します。
「正午頃、ここの真北にあるビスケー湾の北部で、新国軍の駆逐艦の電探が、正体不明の機影が南下しているのを捉えた。おそらく英国軍機だ。しかし、機影は極端な低空を飛行していたので、捉えられたのは一瞬だけだった。この地域では、戦艦を中心とする新国軍艦隊が補給のために南下している。機影は、この艦隊を攻撃に向かった英国軍機である可能性がある。諸君は艦隊の上空にて哨戒飛行を行い、英国軍機が来襲したら、これを叩け」
 これを聞いて、部下は泰然としていましたが、かえって隊長の私の方が、動揺して硬直しました。
 これは「あれ」だぞ、と、ささやく声がしたからです。