アジアにしろ欧州にしろ、もう戦争はいつ終わってもおかしくないところまで来ていましたので、私が率いる飛行隊は大急ぎで出発しました。
 既に四四年の段階で、新国軍はジブラルタルを攻略、地中海に侵入していました。新国軍は決戦を挑んできた英国海軍に盤石の勝利を収め、英国海軍地中海艦隊は壊滅。地中海の覇権は、わずか三年で新国人の手に渡ったのでした。
 四五年に入る頃には、新国軍は自分たちの領土にこれ以上入ってきて欲しくない欧州軍の意向を受けて、主力は海路で英本土に進攻する方針を決定。これを受けてアイルランド上陸作戦が実施され、民間人も巻き込んだ凄惨な地上戦の末、英本土のすぐ隣にあるアイルランドは、新国軍の手に落ちました。
 そして四五年四月三〇日、私は船上で、陽虎自殺の報を聞きました。スボール軍はすでに北京に侵入。勇戦というより、もはや無謀としか言いようがない抵抗を続ける中帝軍部隊――ほとんどが、軍隊と呼ぶのも憚られるような、民間人の寄せ集めでした――が、市内のあちこちで全滅していく中での、陽虎の最期でした。ほどなくして、中帝は連合国に無条件降伏。アジア戦線は終結しました。
 私も、一時は栄華を誇った陽虎の、守るべき国民を道連れにした無様な最期を知り、一つの時代が終わったのを感じはしましたが、それよりもこの時には、念願だった英国人との戦いに意識が向いていました。
 私の部隊は、スペイン北部、ピレネー山脈の南に配備されて、新国軍爆撃機の護衛に当たることが決定され、私たちは上陸後、簡単な訓練をして連携を確認し、実戦任務に就きました。
 この頃の英本土爆撃は真に苛烈なもので、民間人の死傷者を厭わないどころか、むしろ計画的にそれを狙った、徹底的な無差別都市爆撃が行われていました。十万人以上と言われる死者を出した、ロンドン大空襲などがその例です。
 余談になりますが、今もなお世界は国境で隔てられている中で、各国の数少ない共通点の一つに、無差別爆撃への無反省が挙げられると私は思います。日本、中帝、新国、英国、いずれの国々も、戦時中は敵国の民間人に被害が及ぶ爆撃を実施しているのに、反省が十分とは言えないように思えます。
 私自身、アジア戦線と同じく、そんな無差別爆撃に参加するのに抵抗がないわけではありませんでした。しかし、ここでもやはり、私の中では、英国の戦闘機乗りと戦えるかもしれない喜びの方が勝っていました。

 

 そうして私は、欧州における最初の出撃の朝を、期待と緊張、高揚と沈静の入り混じった思いで迎えました。
 ピレネーの山々を前に飛び立った私と部下たちは、山脈を越えたあたりで、新国陸軍航空隊の爆撃機隊と合流します。
 英本土爆撃に使用されていた「バ―二九」は、当時世界最高の重爆撃機と言われた機種で、英国軍との戦いを終始優勢に進めていました。英国の迎撃部隊は、中央で防空を管制する仕組みがなく、個別に戦っていたので効率も悪かったですし、電探(レーダー)の性能も劣っていたので、英国軍は常に苦しい戦いを強いられていたのです。
 それでも、昼間低空を飛んでいたりすると、新国軍の爆撃機は英国軍の強力な迎撃に遭遇し、損害を出すこともしばしばでしたし、夜間は高射砲や夜間戦闘機の脅威があり、高高度では英国軍機のすれ違いざまの一撃や体当たり攻撃がしばしば成功するなど、英国軍は依然として侮れない敵でした。
 眼下には、フランス西部の、鮮やかな緑色をした肥沃な平原が広がっていました。ところどころに美しい森林も見え、私は機上で敵機を警戒しながらも、初めて機上から見る、欧州の美しい景観に酔いしれました。しかし、近寄ってみればそこは、未だ欧州軍と英国軍がにらみ合いを続け、何かある度に血なまぐさい陸戦が繰り広げられている、れっきとした戦場でした。
 私たちは十分な高度を取って進攻します。英国軍の戦闘機はおおむね高高度戦闘が苦手だったので、高高度に陣取って飛べば私たちはかなり有利に戦うことができました。時には、迎撃軌道に入ることに失敗した英国軍機を尻目に、そのまま飛び続けることもあるほどでした。
 が、この日の私は、無論そうすることなど考えもしませんでした。