* 一時間後…首都の夜道にて

 

 それから一時間、病院を出て、元大統領は夜の街を逃げ回った。
 警察官が多数、元大統領を「保護」するために、首都の各所を探し回った。だが、元大統領には分かっていた。普通の警官では、自分を逮捕してくれないだろう、と。だから、大統領は夜道を走って逃げた。逮捕されないためではなく、逮捕されるために逃げた。

 

「クソッ! 誰だよ、あんなタマなしを大統領にしたのは。俺はちゃんと対立候補に投票したぜ?」
「すまん、オレだ……」
「オレもやつに投票した……」
「オレも……」
 この夜、大半の警官たちは、そんな会話を交わしながら、大統領を探していた。
 ところが、ここに二人の例外がいた。この二人は、大統領の演説が始まる直前に、警察署を出てパトカーに乗り、夜の首都のパトロールに出かけていた。二人は、今日は車載無線がいやに静かだな、平和な夜なんだなと呑気に話していた。が、パトロールを始めて三時間近く経った頃、やたら警官やパトカーを見かけるのに、無線が沈黙しているのは変だと思って、ようやく、車載無線が故障していることに気づいたのだった。
 この時、間抜けな二人組の警官は、上司に大目玉を食らうのを予期して戦々恐々としながら、警察署へ戻る途中だった。もちろんこの二人は、大統領の乱心による騒動のことなど、一切関知していない。元大統領が夜の街を一人で逃げ回っていることなど、知るよしもなかったのだ。
 だが、たまたま二人の乗るパトカーがとある工事現場に差し掛かった時、工事現場のシートの中から、鉄パイプを持った男が出てくるのが見えた。
 その男こそは、店舗の窓ガラスでも割れば、さしもの警察も自分を逮捕せざるを得まいと考えた、元大統領その人だった。
「そこの男! 何をしている! 止まれ!」
 パトカーのスピーカーで制止された元大統領は、びくりと肩をふるわせながら、言われた通りに立ち止まった。
 パトカーから、一人の警官が降りてくる。
 警官は元大統領の近くまで来ると、眉をひそめて、まじまじと元大統領の顔を見た。街灯の明かりでうっすらとしか見えないその顔に、見覚えがある気がして、一瞬、指名手配犯かと疑ったのだ。
 だが、元大統領はそれを見て、自分の素性がバレたと勘違いした。
 元大統領の脳裏に、絶望がよぎった。ここで保護されれば、自分は逮捕されることなく終わるだろう、と。
 そう思った瞬間、逆上した元大統領は、手にした鉄パイプを振りかざして、警官に襲いかかっていた。
「うわっ!」
 警官は鉄パイプを避けようと後ずさりしたが、路面の段差につまずいて、仰向けに転倒してしまった。元大統領は、倒れた警官の上に上半身を覆い被せるような姿勢を取ると、繰り返し鉄パイプで殴りつけた。
「逮捕しろ! 逮捕しろ! 逮捕しろ!」
 元大統領は、警官を殴りながら、そう叫び続けた。
「私を逮捕しろ! この能なしめ! 私のような極悪人が、毎日のようにテレビに出ているのに、なぜ逮捕しに来ないんだ! そんなに権力が怖いのか! 私を逮捕してくれる勇気ある警察官は、この国のどこにもいないのか!」
 その時、連続した銃声が鳴り響いて、元大統領の叫びと、鉄パイプが人体に叩きつけられる鈍い音は、途絶えた。

 

 結局、最後まで、大統領が逮捕されることはなかった。

 

 


 

ご読了、ありがとうございました!

 

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