*一時間後…首都の病院の前にて

 

「来ました! 今、大統領を乗せたパトカーが、○○病院に到着しました! 大統領! 大統領! これはどういうことなんですか! 大統領!」
 元大統領を乗せたパトカーが病院の前に差し掛かると、大勢の記者たちが周囲を取り囲んできて、辺りは騒然となった。
 レポーターは、マイクを突きだして届くはずのない質問を連呼し、カメラマンは、同業者を押しのけて前に出ると、カメラをパトカーの窓に押しつけてフラッシュをたく。
「そうだ、そうなんだ……これこそが、私に相応しい扱いなんだ」
 パトカーの中でその様子を見ながら、元大統領はそんなことをつぶやいていた。
「前代未聞の凶悪犯罪者……それが私だよ」
 だが、ある種の穏やかさを持っていた元大統領の表情は、病院の看板を見た途端に豹変した。
「おい、今のは何だ。今、病院という文字が見えたぞ。ここは拘置所じゃないのか?」
「元大統領」隣に座っていた刑事が、用意していた言い訳を披露した。「健康に不安がある犯罪者は、拘置所に行く前に健康診断を受けるのです。拘置所の中で死なれたら困りますからね」
 だが、元大統領は簡単には納得しなかった。
「うむ……健康診断をするのは分かるが、そのための医者は拘置所に常駐しているのではないのかね? それに、私には健康上の問題はないが」
 思わぬ指摘に、刑事は一瞬たじろぐが、すぐに言い訳を重ねた。
「……元大統領は、通常の犯罪者とは違いますから、念には念を入れて検査をするのですよ。拘置所の医者は、今日はたまたま不在だったんです。だから、色々と手続きに手間取ったんです」
「うむ……そうか」
 元大統領はまだ何か疑問があるようではあったが、とりあえず黙った。

 

 元大統領が連れて行かれたのは、ある医師が専用に使っている部屋だった。
 調度品の和やかな雰囲気を除けば、そこは警察署の署長室に似ていなくもなかった。部屋の主が使うデスクの前には、ソファ、テーブル、ソファといった、応接セットがしつらえられていた。
 手錠を外された大統領は、白衣を着た医師と二人きりになり、ソファに座って向かい合った。
「それで」と、大統領は訝しげに切り出した。「健康診断はいつ始まるんですか、ドクター?」
「すぐこれから始まりますよ、大統領」
 元大統領はうんざり顔で、もう一度、自分はもう大統領ではない、と繰り返した。
「ええ、分かりました、元大統領」
 穏やかな調子でそう言われて、初めて元大統領は向かいに座る医師を注意深く観察した。歳は三十代の後半ぐらいで、男性。真面目そうではあるが、きりきり働くという感じではなく、どちらかと言えば落ち着いている印象だった。
 それから、医師は元大統領に質問を繰り返した。元大統領は、最初、素直にそれに答えていたが、彼の心の中では段々と、再び疑問が頭をもたげ始めた。彼が期待していたのは、血圧や脈拍を測ったり、採血や採尿をしたりするごく一般的な健康診断だ。こんな、相手の精神状態を確かめるような質問の数々は、元大統領の想像していたものとは違った。彼は自分のことを、裸にされて尻の穴まで調べられても当然の、凶悪犯罪者だと信じて疑わなかった。
「ドクター」と、元大統領は医師の質問を遮った。「この質問には、何の意味があるんです?」
「元大統領。今はそのことは考えず、質問に答えることに集中していただけませんか」
「何を悠長なことを言っているんですか? 早く私を拘置所に連れて行ってください」
「……」
 それを言われた医師は、乗り出していた上半身の緊張を解いて、ソファに深く腰掛け直した。
「大統領……」
「元大統領です」
「ええ、元大統領……今はみんな、突然のことに驚いたせいで、頭に血が上っていますが……冷静さを取り戻せば、人々はあなたに同情するでしょう」
「……そうかもしれませんね」
 元大統領のそのしおらしい言葉に、医師は驚きを見せた。
「元大統領、私の言うことが分かるのですか?」
「ええ、まあ、少しは……」そして元大統領は、医師の期待とは全く正反対のことを話した。「仮に、私より優秀な人物が大統領になっていたとしても……一連の事件は防げなかったかもしれません。私はただ、たまたま悪い時期に大統領になってしまっただけなのかもしれません」
 医師は再び身を乗り出して、元大統領の話に聞き入った。彼は話し続けた。
「だから、人々は私に同情するかもしれません……けれど、指導者は、大統領は、その同情に甘えてはいけないのです。大統領は、この国の最高権力者だ。この国が……警察が、法制度が、情報機関が、あるいは軍が、失態を犯したなら、最終的な責任は私が取らねばならない。それこそが、あるべき大統領の姿というものでしょう」
 医師は、努めて心情の変化を表に出さないようにしたが、内心ではがっかりしていた。元大統領の言葉は、医師の期待したものではなかったのだ。
「元大統領……私が言った同情とは、そういうことではないのです」
「おや、そうなのですか?」大統領は本気で、意味が分からない様子だった。「では、どういうことなんです?」
「元大統領……民衆は、あなたに同情するでしょう。しかし、それはあなたのおっしゃるような理由からではありません……民衆があなたに同情するのは、大統領という重い職責のために、一人の優秀な人物が、精神を病んでしまったからです」
 呆然とする元大統領を前に、医師は続けた。
「この手の病気は、責任感の強い人物の方がかかりやすいのです。大統領、あなたの責任感の強さに対しては、私も敬意を払います。きっと、かつてあなたに投票した、多くの有権者も同じでしょう。しかし、そんなあなたの美点は、今や重すぎる負担となって、あなたの精神にのしかかっている」
 それを聞いた元大統領は、恐る恐る、こう聞き返した。
「……君は、私が精神病だというのかね?」
「……おそらくは」
「冗談じゃない!」
 元大統領は、弾かれたように立ち上がると、神経質そうに室内を歩き回りながら、熱弁を振るい始めた。
「私が精神病だと診断されたら、罪が軽くなってしまうかもしれないじゃないか! そんなことは許されない! 私は重犯罪者だ!」
「大統領、あなたは疲れているんです」
「確かに疲れている。これだけの重い罪を自覚したんだ。疲れないはずがない」
「大統領……」
「私が……私が狂っているだって? 違う、私は狂ってなどいない! 私は自分の罪を、あるがままに自覚しているだけだ! 狂っているのは……狂っているのは、君たちの方じゃないか!」
 そう言って、元大統領は、狼狽する医師の顔を指で差した。
「そうだ! 狂っているのは、君たちの方だ! 私は、市民射殺、銃乱射、プライバシー侵害、戦争犯罪、その他、数々の犯罪の共犯者だ! こんな重犯罪人を、逮捕して裁きにかけようとしないなんて……狂っているのは、私じゃない! 狂っているのは、君たちの方じゃないか! クソッ! クソッ!」
「大統領……まずは落ち着いて、そこに座り直してください」
「私は大統領じゃない! 誰か! 誰か、私を逮捕してくれ!」
 元大統領は、そう叫ぶと、体当たりするかのような勢いでドアを押し開けて、廊下に飛び出すと、そのまま全力疾走でどこかへ走り去ってしまった。
「大統領! クソッ! 誰か捕まえてくれ!」