早とちりさせてしまったかもしれないが、ヘルマンは死んだわけではない。
 翌早朝、まだ私が寝ている頃。母は猫の鳴き声で目を覚ました。ヘルマンの鳴き声ではない。大人の猫の鳴き声だった。
 母は、親猫が迎えに来たのだと思って、玄関のドアの外へと、ヘルマンが入った段ボール箱を押しやった。そのまま、母はドアを細く開けて、様子をうかがっていた。
 しばらくすると、近づいて来た親猫は、ヘルマンの首をくわえて持ち上げ、段ボール箱から出した。親猫はその場にヘルマンを降ろすと、ヘルマンの全身を丁寧になめ回してから、お乳をあげた。それが一段落すると、親猫はまたヘルマンの首をくわえて、どこかへ去ってしまったのだという。
 私は母のその話を、寝起きの布団の中で聞いていた。そして言った。
「どうして起こしてくれなかったの?」
 母は答えた。
「突然のことだったから、そんなこと、思いつきもしなかったんだよ」
 それは嘘かもしれないと私は思った。母は当初から、ヘルマンは親猫に返すのが一番良いと言っていた。そんな母は、私を起こしたら、私がヘルマンを親猫に返すことを渋るかも、と恐れたのかもしれなかった。
 すぐ後に、私は庭に出たが、もちろん、ヘルマンの姿は影も形もなかった。
 早朝の冷たい風が、私の頬を撫でていた。

 

 あなたは、猫を飼うことを嫌がった母が、ヘルマンを殺してどこかへ捨ててしまったのだと、そう思うだろうか? 正直に言うと、私も少しそう思った。
 でも私は、母が語ったことも、あり得ない話ではない、と思った。子供と遊ぶ野良猫もいるのだ。なら、一日経って、人間が預かっている子猫を迎えに来る親猫がいても、おかしくはないだろう。

 

 ヘルマンを失った私は、悲しみに沈んだ。昨日のような、忙しくも充実した日々が、今日からもずっと続いていくのだとばかり思っていた私は、これから何をしていいのか分からなかった。胸の真ん中辺りから、何かが土台ごとごっそりと滑り落ちてしまったようだった。
 それでも、私は、運命を受け入れようと思った。ヘルマンはきっと、帰るべき場所へ帰ったのだ。温かい母親と、兄弟たちの元へ。野良猫の寿命は、飼い猫よりずっと短いが、これはそういう問題ではない。だから私は、母のことも恨まない。
 ただ、今の私には、ささやかな希望がある。歩くこともおぼつかなかったヘルマンも、無事に育てば、数ヶ月で独り立ちする。そうなったら、また一匹の野良猫として、私の前に現れてくれるのではないだろうか。
 あるいは、と、私は部屋の片隅を見て思う。
 黒猫のぬいぐるみを、買ってくるのもいいかな、と。

 

                                                                              完

 

 


 

ご読了、ありがとうございました!

 

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