ある日、目が覚めたら、俺の目の前にぷかぷかと浮かんでいる、ピンク色の歪んだ球体。
どういうわけか、球体は緑色の太い線のようなもので、俺の鼻の穴とつながっている。
うん。
どうやらこの目の前でぷかぷかと浮かぶ球体は、俺の脳みそのようだった。
掲載時期 |
ジャンル |
分類 |
分量 |
2015年3月 |
ノンジャンル |
短編 |
3ページ |
朝、目を覚ました俺は、目の前でぷかぷかと、風船みたいに浮いている「それ」を見つめていた。
布団に寝ていた俺が身を起こすと、それはちょうど、俺の鼻先のあたりにやってくる。
それは、人の頭より一回りほど小さいぐらいの大きさで、おおむね、少し歪んだ球形をしていた。色は、やや赤みがかった白色だ。薄いピンクと言った方が近いかもしれない。
中心には一本の溝が走っていて、それが球を左右に分けている。球の表面はくまなくしわが寄っていて、広げれば結構な面積がありそうだ。
……うん。
分かっている。
俺の目の前で、風船のようにぷかぷかと浮いているそれは……どこからどう見ても、人間の大脳だった。
何だこれは。
しかも、何やら俺の鼻の穴からは、二本の、緑色をした太い筋のようなものが伸びていて、そのぷかぷか浮いている大脳と繋がっている。
するとこれは、何か。
もしかして、このぷかぷか浮いている脳みそは、俺の大脳なのか?
……そこで俺は、はたと気がついた。
――ははあ、これは、夢だな
と。
脳みそが外に飛び出しちゃったとは、我ながらなかなか面白い夢だ、と俺は思った。
俺はまじまじとその脳みそを見つめた……しかし、よく考えると、いま「脳みそを見ている」という俺の意識は、まさにこの脳みその中にあるのだった。鏡ならざる鏡を見ているような、変な気持ちだった。
「うーむ」
と、うなりながら俺が首をかしげると、鼻の穴から伸びた筋――おそらくは神経なのだろう――が動いて、つられて脳みそがバランスを崩し、ゆらゆらと揺れる。
続いて、俺は恐る恐る、脳みそを指でつついてみた。脳みそは、押せば凹むが、簡単に潰れるほどではなく、木綿豆腐と同じぐらいの硬さだった。痛みなどは感じない。そういえば、脳に痛覚はない、とどこかで聞いたことがある。
しかし、面白くはあるが、あまり愉快な夢ではないな、と俺は思った。鼻の穴から大脳に神経が伸びているので、うかつに頭を動かせず、ひどく不自由だ。
早く夢が覚めないかな、と思った俺は、試しに、目の前の大脳を、でこぴんで弾いてみた。
次の瞬間、俺は布団の中で目を覚ました。
目の前で、あの大脳が、なおもぷかぷかと浮いていた。
ひょっとして、これは夢ではなく現実なのではないか、と、俺はこの時初めてその可能性に思い当たって、背筋が凍る思いがした。
でこぴんで脳を弾いた直後、俺は意識が飛んだ。これはあれだ。脳震盪というやつなのではないか。
頭蓋骨に守られていない俺の脳は、今や、ちょっとした衝撃で、致命的に傷ついてしまうのではないか。
寒気で、俺の背筋がぶるっと震えた。すると、震えは鼻から伸びた神経を伝って、脳みそに伝わる。揺れが収まるまで、俺は気が気ではなかった。
――この肉の塊が傷ついたら、俺は死ぬ
俺は「どうして自分がこんな目に」と己が不幸(?)を呪いながら、恐る恐る、布団から起き上がった。
そのまま、神経が伸びきって切れてしまわないよう、細心の注意を払いながら、俺は携帯電話を手にとって、一一九番に電話した。