結局、僕は警備員の詰所でこっぴどく怒られた。
 警備員に怒られ、電話口に出た母に怒られ、また警備員に怒られた。怒られた後は、パイプ椅子に座らされて、放っておかれた。詰所には常に警備員が一人いて、巡回してくる警備員や、庭師や、その他の使用人とたびたび世間話などしていたが、僕に話しかけてくる人は、結局一人もいなかった。
 ただ、一度だけすごい音がした。あの戦闘機だ、今度は離陸していったのだと、僕にはすぐに分かった。それほどに凄まじい轟音だった。僕はパイプ椅子に座ったまま、驚いて辺りを見回し、窓から見える空に機影が浮かばないかと期待したが、結局、飛び立っていく戦闘機の姿を、目で捉えることはできなかった。
 一方の警備員はというと、その時は若いメイドと談笑していた。二人は離陸の轟音で会話ができなくなると、ごく自然に会話を中断し、音が遠ざかると、すぐにまた会話を再開した。
 そうして夕方になった。色の濃い夕焼けの日で、窓から差し込むのは真っ赤な夕陽だった。最初に僕を見つけた若い警備員がやってきて「ついてこい」と言い、僕を連れ出した。警備員は私服に着替えていた。
「乗れ」
 と言って彼が指したのは、大型のバイクだった。左手で、ヘルメットを差し出してくる。
 僕がバイクの後ろの方に登ろうとしてえっちらおっちらしていると、男は舌打ちしながら僕の尻を押した。男は僕の前に乗り、エンジンをかけ、しっかり掴まっていろ、と言うと、すぐにバイクを発進させた。バイクは飛行場の門を素通りして、川沿いの道を真っ直ぐに、南西へと向かう。
 男にしっかりとしがみついたまま、僕は首だけで後ろを振り返った。いま出てきたばかりの門が、あっという間に小さくなっていく。せっかくすぐ近くまで来た戦闘機が、また遠ざかっていった。座席の下から響いてくる、レシプロエンジンのささやかな音と振動だけが、僕の心を慰めてくれる全てだった。
「戦闘機が見たかったのか」
 そう思った僕に、男は声をかけてきた。僕はそれまでの男のつっけんどんな態度に、少なからず畏怖の念を抱いていたけれど、やがてこう答えた。
「はい」
 少し間が空いた。男はため息をついたようだった。
「まあ、分からなくもないさ。だが、乗りたいなんて思うのはやめておけ」
 そういうわけじゃないんです、と僕は言おうとしたが、男はすぐに先を続けた。
「このバイク、いいだろう?」
 僕はいきなりそんなことを言われて戸惑った。
「え……はい」
 しかし、男の口調は、とても誇らしげとは言い難い。
「これがあれば、島のどこで何があっても、すぐに駆けつけられる……でもな、このバイクは、俺のものじゃないんだ。借り物さ。領主様から借りてるんだ。お役御免になった日には、謹んで返上しなきゃならない」
 僕はどう返せばいいか分からず、続きを待った。しかしそれっきり、男は黙り込んでしまった。

 

 夕日は正面の、やや左手の水平線に沈んでいく。海は既に黒い薄闇の中に落ち、一足早く夜が訪れていた。もう僕らが走る道も薄暗い。男はバイクのヘッドライトを点灯させた。
 僕らの右には川が流れていて、その向こうにはライ麦畑が切れ目なく続いている。左は遮るものが何一つない牧草地で、農家の男や少年が、はぐれた牛を厩舎に追い込もうと、歩いたり、走ったりしていた。
 そんな風景を見ながら、十分ばかり走ったろうか。突然、空から鋭い音が聞こえてきた。
 あの戦闘機だろうか、と僕の胸が機体に膨らんだ。しかしすぐに、バイクを運転する男の背中が、さっと総毛立つのが分かった。
 僕も、何かが違うということに気づく。音がいつもより甲高く、どんどん高さと強さを増していく。いつもは周り中を取り巻くように響いてくる音が、今は上からは降ってこない。
 左だ、すごく低い、と僕が顔を向けると、農家の男が、慌てて牛から離れるところだった。その牛に向かって、真っ直ぐに突っ込んでくる、一つの影。
 合金の翼を持つ怪鳥。バーバリアンだ。
 バーバリアンは極低空飛行を保ったまま、翼を大きく広げ、一頭の牛に狙いを定めると、そのまま嘴を開いて、一気に突っ込んできた。
 そのまま、牛をその巨大な嘴でしっかりと捕まえ、半ば腹のあたりから地面にぶつかるように、強引に着地する。
 着地の轟音で地面が揺れ、バイクは急停止する。僕の頭は男の背中に押しつけられたが、その間も、僕はバーバリアンから目が離せなかった。
 バーバリアンは体を起こすと、頭を持ち上げ、嘴から尻と頭がはみ出しているだけの牛を、重力の勢いで飲み込もうとしていた。その間にも、嘴を動かして、バリバリと音を立てて牛をかみ砕こうとしている。黄土色の油が牛の体から漏れ出て、バーバリアンの嘴を伝って地面へとしたたっていた。その地面はというと、バーバリアンが着地した衝撃で一部が削れ、地面を覆う草がえぐれて、茶色の土が剥き出しになっていた。
 初めて見る光景に釘付けになっている僕を尻目に、男がバイクを降り、次いで僕の腹を抱えるようにして僕を持ち上げた。
 何をするのか、と思ったら、男はバイクから離れ、川へと走った。ああ、そうかと僕は思った。バーバリアンはバイクも狙うかもしれない、と。
 河原は、川へ向かってなだらかな下り坂になっている。男は僕を抱えたままそこへ転がり込み、坂を利用して身を隠した。
「頭を低くしていろ」
 男は僕にはそう言ったが、自分は腹ばいになって坂の上から頭を出し、バーバリアンの様子をうかがい始めた。僕は男の言いつけを聞かずに、逆に男のやっていることを隣でそっくりそのまま真似をしたが、男は何も言わなかった。
 バーバリアンはまだ牛を飲み込めずにいた。思わぬ大物に苦労しているようだったが、心なしか嬉しそうに見えた。頭を小刻みに動かしたり、体全体を揺らしたりして、器用に嘴の中の獲物の向きを変え、飲み込みやすくしようとしている。僕はそれを綺麗だと思った。響き渡る鈍い音も、したたり落ちる粘っこい液体も、漂ってくる油の臭いも……。
 その時、後ろからまた甲高い音がした……振り返る暇もなかった。もう一機の怪鳥が、僕たちのすぐ背中側から飛んできて、目の前のバイクを嘴でかっさらっていった。
 僕らの目の前で、鋭い音と共に緩やかに上昇していくバーバリアン。バイクは牛よりも小さい。そいつはバイクを、上昇の途中で丸々飲み込んでしまった。
「俺が持ち逃げしたんじゃないぞ」
 すぐ横で男の声がした。
「お前、後で聞かれたら、証人になれよな」
 ひどく切迫感に乏しいように聞こえる。
 上昇したバーバリアンは、周囲を旋回しながら、頭部のカメラアイで、地上を舐めるように見渡していた。バイクだけでは物足りなかったのだろう。逃げ遅れた牛を狙っているようだった。
 僕はわずかでも目を逸らさないように、まばたきも我慢して、その怪鳥が再び降りてくるのを待ち望んだ。さっきは近すぎてよく見えなかったが、今度は見れるはずだ。決定的な、狩りの瞬間を。
 そう、その直後、確かに、僕は決定的な瞬間を見た。ただ、予想とは少し違う形で。

 空に鷹揚な弧を描くバーバリアン。その巨体を見上げる僕の視界の端に、何か小さな塵のようなものが映った。そう思った次の瞬間、バーバリアンは爆発して、火の玉に包まれた。
 バーバリアンの咆哮が聞こえたが、甲高い叫び声は、夕焼けの空に虚しく消えていく。翼をもがれた巨鳥は飛ぶ力を失い、赤々と燃える炎に身を包みながら、夕日に染まる草原へ落ちていった。
 何が起こったのか、僕の理解がようやく追いついたのは、慌てて飛び立つ素振りを見せた地上のバーバリアンが、斜め上から突き刺さるような光の雨を浴びて、体中から火花と鉄片を散らして沈黙し、爆散した後だった。
 その直後、機銃掃射を終えた戦闘機が正面から飛んできて、低高度から引き起こしを行いつつ、僕たちの頭上をすれ違うように飛び去っていった。ジェットエンジンが、その通り過ぎた後に巻き起こす、激しく乱れた風の流れが、僕の短い髪の毛を波立たせた。
 すれ違う時、一瞬だけ、主翼前縁の青い線が見えた。間違いない、と思った。昼間、僕の目の前で着陸した戦闘機だ。
 僕は背後を上昇していく戦闘機を仰ぎ見た。その機体はいくらか高度を取ると、今度は左旋回に移った。その行く先を見ると、もう一機、戦闘機が飛んでいた。やや遠くてよく分からなかったが、そちらには青い線がないようだった。後から僕は、警備員の男に聞かされて、青い線の戦闘機が低空に降りて二機のバーバリアンを攻撃する間、もう一機が上空で見張りをしていたのだ、何か手違いがあった時にすぐ助けられるように、と知った。
 その時になってようやく、最初にミサイルの直撃を受けたバーバリアンの巨体が、地上に墜落した。墜落の瞬間、草原に粉塵が舞い上がり、少し遅れて、振動が伝わると共に、爆音が聞こえてきた。
 だが、頭上の貴族たちは、そんなことには無関心であるかのように、ゆったりと編隊を組んだ。二機の巨鳥の残骸が、一矢報いようとでもするかのように、ゆっくりと黒煙を立ち上らせる。だが、貴族たちはそんなものには目もくれず、北の方向へと飛び去った。
 僕が、ふらふらと立ち上がりながら、ただ呆然とそれを見送る後ろで、あの男は中腰になって「さて、歩くか」などと、めんどくさそうに言っていた。