戦闘機には人が乗っているというのを聞かされた次の日、僕は朝早くから、家の手伝いを抜け出した。
 島は北東に行くに従って標高が高くなり、南西部にある平地には、港を中心にして集落があった。僕の家もそこにある。
 でも、島の中心は、その集落にはない。島の中心は、北東の高地、島の水源を占める位置にある。そこには領主の屋敷があり、そして屋敷の目と鼻の先に、領主専用の飛行場があった。
 島民の渇きを癒やす川の水は、北東の高地から発して、南西の集落に向かって流れていた。島の地理的な中心部は、なだらかな高原になっていて、真ん中を流れる川が、高原を南北に分断している。日当たりの良い南側は草がよく育つので、家畜の放牧地になっていた。一方の北側には、平民も使える小さな飛行場と、その周りの余った土地に、痩せた土地でもよく育つ、ライ麦がびっしりと植えられていた。
 そういった島の事情に、僕はまだ疎かったけれど、僕は半ば本能的に、そのライ麦畑を突っ切って、島の奥へと向かっていた。戦闘機がいつも降りていく方だからだった。わざわざライ麦畑を通ったのは、他の島民と会いたくないからだった。僕と僕の家族は、昔からの島民にとって、まだ来たばかりのよそ者だった。
 僕の父は修理工をやっていて、島には招聘されてやってきた。と言っても、島に来るまで父が思い込んでいたのと違って、別に父は腕を買われて呼ばれたわけじゃなかった。
 島に来る前、父は都会のギルドに入っていた。そのギルドが世話になっている取引先の一つに、島の領主がいた。
 島にはもともと、代々修理工をやっている一族がいたが、鳶が鷹を生んだとでも言えばいいのか、そこの若旦那がとびきり優秀だという評判が広まり、その噂が領主の耳にまで入って、父子ともども、領主館専属の機械工に取り立てられた。だが、それでは平民相手の修理工がいなくなってしまうので、誰か代わりはいないかと領主は探していた……父の所属していたギルドは、あまり腕の良くない父でも、小さな島の修理工ぐらいできるだろうと、厄介払いとばかりに父を推薦した……それが、後になって父や、僕ら家族が知った真実だ。
 でもあの時の僕は、何かを薄々勘づいていたのだろうか。とにかく島民には誰も会いたくなくて、背の高いライ麦が落とす影の中を、一心不乱に歩いていた。ライ麦はみんな同じ向きに生えていたので、方向を見失わないようにするのは簡単だった。途中、島民の飛行場を見かけたけれど、ひっそりとしていて、誰もいないように見えた。雑草の背も高く、石ころや土くれがところどころに転がっていた。
 ただ、一つ目を引くものがあった。滑走路の端に据え付けられ、二つ並んだ細長い砲身を虚空に向けて静止する、一基の機関砲だ。背の高さは、大人より一回り大きいくらい。後に僕は、それが空から襲ってくるバーバリアンを撃つための、高射砲だと知る。その高射砲が、領主館から払い下げられた、お下がりだということも。

 

 そうして半日ばかり歩いただろうか。僕はようやく、領主の飛行場にたどり着いた。
 飛行場の金網の少し手前で、ライ麦畑は途切れていた。木の杭と、その間に張られたワイヤーが境界線だった。僕は何の躊躇もなしに、その柵をくぐって、緑の芝生に足を踏み入れる。
 飛行場はぐるりと金網に取り囲まれていて、さらにその金網の上には、棘のついたワイヤーが、外側に頭を垂れるように乗っかって、僕を見下ろしていた。
 そんな金網の向こうに、広大な敷地が広がっていた。
 別世界。そう言ってよかったと思う。
 張り巡らされた白っぽい誘導路は、巨人が指先で描いた地上絵のようだった。アーチ状の屋根をした格納庫は、手前にいる人影がまるでシロアリのように見えて、遠くからでもその大きさがよく分かった。高射砲もあった。でもその高射砲は、平民の飛行場に据えられた骨董品と違って真新しくて、大きさは、つい今朝方抜け出してきた、家の納屋ほどもあった。四つある砲身はより太くより長く、足下には戦車のようなキャタピラを履いていて、自由に動き回れるようになっていた。
 そして……先が霞んでしまうほどに遠くまで続く、細く長い滑走路だけは、特別にコンクリートで覆われていた。路面の光り方が一際明るくて、すぐに特別と分かるそれは、今でも僕の人生の中で、特別な場所に居続けている。
 僕は滑走路の一方の端にいた。僕の目の前を、少し右に角度をつけて、滑走路が手前から向こうへと伸びている。もう一方の端は、小さく霞んでしまっていて、ほとんど見えない。滑走路の端からは左へと誘導路が延びて、格納庫の方へと続いていた。
 僕は息を飲み込んだまま、その未知の光景に見とれ続けた。
 どれぐらいそうしていたのだろう。陶然とした僕の目を醒ましたのは、胸を振るわせる、あの音だった。
 最初、音がどこから来るのか分からなくて、僕はきょろきょろと頭上を見回した。
 後ろだった。僕は体ごと向き直ればいいのに、そうすることも忘れて、ただ濃紺の海、群青の空を背にして浮かぶ、うっすらと白い一粒の点に、目を奪われていた。
 その機影はみるみるうちに近づいて来た。音と共に影も大きくなり、機首と主翼とが区別できるようになり、機体の下面から突き出た脚が見分けられるようになり、ついには……透明なキャノピーの向こうまで、見えるような気がした。
 僕が、その戦闘機を駆る飛行士の姿を一目見ようとしたその時……運悪く、強い陽光がキャノピーに反射して、僕の視界を奪った。
 戦闘機はもう、手を伸ばせば届きそうなぐらい近くまで降りてきていた。僕がまぶしさに目を逸らした次の瞬間には、心臓にぴったりくっつけたドラムを打ち鳴らしているみたいに、轟音のあまり全身が震えて、息もできなくなりそうだった。
 やっと視線を戻したその時……戦闘機は僕のすぐ目の前で、金網の上を飛び越して行くところだった。着陸に備えて機首をやや上に向けるその様は、大きさとか、高さとか、速さとか、そういう色々をひっくるめた「強さ」を、僕に見せつけるかのようだった。色は全体的に灰褐色だったが、主翼の前縁だけが、原色に近い青に塗られていた。
 僕が見守る前で、戦闘機はまっすぐ滑走路に向かって降りていき、接地する直前、わずかに機首を上げてふわりと速度を落とすと、そのまま後輪を滑走路に降ろした。
 接地する瞬間、キュッと甲高い音がして、白っぽい煙のような塵が吹き上がった。
 僕がどんなに目を凝らしても、機体はどんどん遠ざかっていった。滑走路の、もう一方の端まで行く気だ、と僕は思った。
――走らなきゃ。
 僕は唐突に、そんな思いに背中を押された。

 

 滑走路の端まで行こう
 そして、見るのだ
 操縦席から降り立つであろう
 飛行士の姿を
 それは人の姿をしているだろうか
 それとも

 

「見かけない顔だな」
 突然、横から話しかけられて、僕は振り返った。
 そこには、肩紐で小銃をつり下げた、若い男が立っていた。
 村人が着るより、少しだけ高級そうな服を着ていた。集落で何度か同じような服装の男を見かけていて、僕は知っていた。領主に直接仕える、使用人の制服だ。
「屋敷に何か用か」
 つば付き帽を被った男は、僕にそう聞いた。口調は何気ないが、目は怪しんでいる。
 この男の横をすり抜けて、走って行くのはどうだろう。金網に沿って走れば、滑走路の端までたどりつけるかも。
 でも、背中を見せた僕は、あの男の小銃で撃たれてしまうだろう。どんなに力を振り絞って走っても、銃弾と競走はできない。
 戦闘機に乗っている男なら、別かもしれないが。