僕たちの高校はけっこう広くて、校舎から抜け出しても、敷地内のそこかしこで生徒たちの姿を見かけた。というか、その日の休み時間はどういうわけか、生徒たちは男も女も、敷地内のあちこちに繰り出すことを決めたらしくて、どこへ行っても、おしゃべりをしているグループや、ボールを使って遊んでいるグループなんかを見かけた。中には、小学生の子供みたいに、縄跳びで遊んでいる女子生徒たちもいた。
 僕は、彼女と手を繋いで、そんな奇妙なぐらい賑やかな校内を隅々まで回った。最初は、そんな風にして、学校の中でどこか落ち着ける場所を探そうと思っていた。しかし、僕はすぐに、なぜか今日という日は、どこへ行っても人と出くわす運命らしい、と悟った。
 そして、もう一度、彼女の耳にささやいた。

 

 学校の中じゃ、ダメみたいだ。
 学校の外に出よう。

 

 すると彼女は、黙ったまま、コクン、とうなずいた。
 その時、僕は気がついた。いつの間にか、彼女の表情に元気が戻りかけていたのだ。
 青白かった頬には赤みが差して、何かに怯えるように緩んでいた表情には、意志を感じさせる力強さが宿っていた。
 僕が最初に「あれ?」と思ったのは、この時だった。だって、僕はまだ、何もしていなかった。彼女を励ます言葉をかけたわけじゃなかったし、その他の、何かしらの意味がありそうなことだって、まだ一つもできてはいなかった。もちろん、どこか落ち着ける場所を見つけられたら、すぐにでもそうするつもりだったけれど、とにかく、この時はまだ、そういうことはしていなかった。
 なのに、彼女はもう既に、元気になり始めていた。
 そのことは、僕を喜ばせるより、むしろ不安にさせた。元気を取り戻した彼女が、また元のように、僕の手の届かないところへ行ってしまう気がしたから。けどすぐに、僕はそんな身勝手な思いを振り払って、歩き続けようとした。
 それでも、僕の心はどうしようもなく、不安に捕らわれていた。
 それまでずっと、弱った彼女を壊さないよう、温かく柔らかに握られていた僕の手が、この時、不安のために、冷たく固くなり始めていた。
 けれど、彼女の方では、そういうことにはもう全く気づかないみたいだった。どうやら、力を取り戻しつつある彼女は、自分の胸に渦巻いている情熱を解き放ちたがっていて、その時機を今か今かと待ち構えるのに夢中なあまり、僕のことは早くも視界から消え始めている、そんな様子だった。

 

 僕たちの高校は小高い山の裾野に建っていて、大雑把に言って、校舎の裏側が山になっている。学校の外に出るための門はいくつかあって、その時、僕たちから一番近かったのは、裏門と呼ばれる門だった。
 裏門にたどり着くには、山の斜面に作られた、長い階段を登っていかなければならなかった。階段を登る労力を疎んで、他の門を選んでもいいはずだったが、僕らはなぜかそうしなかった。
 僕は彼女の手を引いて、階段を登った。僕はどうも、昔から長い階段というのが苦手で、この時も、彼女の前だから平静を装いつつも、内心では閉口していた。
 しかし、彼女の様子は、僕とは対照的だった。長い階段を登るのにも、彼女は苦しい表情一つ見せず、そればかりか笑顔さえ覗かせて、ひょいひょいと軽快なテンポで足を運んでいた。
 そんな彼女が、僕の後ろについてくることに耐えられなくなったのは、当然の成り行きだった。その時、僕の手の中にあった彼女の手が、すうっとすり抜けていって、後には空気だけが残った。彼女は、僕より前に躍り出た。僕にはもう、彼女の背中しか見えなかった。そして、彼女は僕よりずっと速く、長い階段を、先へ先へと登っていった。
 僕は、そんな彼女についていくことができなかった。頭上では彼女の背中がどんどん小さくなっていくのに、足元では、何だか、階段がいきなり急になったように感じられて、足を持ち上げるのにすら苦労する有様だった。
 やがて彼女は、僕よりずっと早く、頂上へとたどり着く。彼女は振り返って、僕へと声をかけた。
「早く来て!」
 彼女は笑顔だった。彼女はもう、僕の記憶の中にいる、いつもの彼女に戻っていた。あの、僕の手の届かないところにいる、素敵な女の子の姿に。
 早く来いと言ったはずなのに、彼女は僕を待とうとはせず、先に行ってしまった。彼女の背中は、斜面の向こうへと消えてしまって、もう見えない。
 それでも、僕は地道に階段を登り続けていれば、彼女に追いつけると思っていた。ところが、そうはならなかった。
 階段が急になったように感じたのは、気のせいではなかった。最初はすねの辺りだったはずの一段の高さが、今はもう膝の上ぐらいまで高くなっていた。階段はそれからも、僕が一段登るたびにどんどん高くなっていき、ついに、それは僕の背の高さを越えて、壁のようになって、僕の行く手にそびえ立つようになってしまった。
 おかしいな、と僕は思った。彼女はこれを、軽々と登ったはずなのに。
 疑問に思いつつも、僕は裏門を諦めるしかなかった。
 正門から校外に出て、回り込んで彼女と合流するつもりで、僕は踵を返して歩き始めた。