次の日、秘密の部屋へ行ってみると、彼女は文庫本を読んでいた。ここにタイトルを書くのが恥ずかしくなるようなライトノベルだ。僕はてっきり、彼女は人気漫画と文学しか読まないのだと思っていた。なので、本来ならびっくりするところだったのだが、この頃にはもう「次はどんな風にびっくりさせてくれるんだろう」とわくわくしていたぐらいだったので、これぐらいではあまり感動しなかった。
 僕が挨拶しても、彼女は何の反応も返さなかった。予想していたこととはいえ、ちょっとだけがっかりしつつ、僕は彼女の向かいの椅子に座った。やることもないし、その辺の物をいじったら怒られそうだったので、僕も鞄から本を取り出して読むことにした。僕のは古典的名作とされるSF小説だ。
 そのうち、彼女は、はあ、とため息をもらした。
「どうしてこう、小説っていうのは嘘ばっかり書くのかしらね」
 独り言かもしれないと思って黙っていたら怒られた。
「ちょっと、なんとか言いなさいよ」
「あ、うん。でも、小説っていうのはフィクションなんだから、嘘を書くのは当たり前じゃないかな」
「フィクションとかノンフィクションとかそういう問題じゃないのよ。思想の問題」
 またずいぶん重い言葉を持ち出してきた。
「思想?」
「そう。弱いやつが知恵を働かせて勝つとか、モテるはずのない男が細かいことに気がつくからモテるとか、そのどちらでもなかったら、生きててもいいことはないけどそれを言っても始まらないから頑張って生きようね、とか、小説ってほとんどそんな話ばっかりじゃない」
「それはちょっと乱暴だと思うな」
「どこが?」
「現実にきちんと向き合いながら、希望や理想を持って生きようとする小説だってあるよ」
「ベストセラーの中にはないわ」
「ベストセラーだけが小説じゃないさ」
「……そうね。あなたの言う通りね。でも、私が本当に言いたいのは、こういう今時の売れ筋の小説が、人にしか興味がない、それが気に入らないってことなの」
「へえ。それじゃあ君は何に興味があるの?」
 僕は嘲るのではなく、その反対に関心を示すように言った。それは伝わったようだった。
「私はね、世の中に興味があるの。世の中の作家さんには、もっと世の中を中心に据えた小説を書いて欲しいものだわ」
「でも、世の中は人が作っているものだよね」
「いいえ、世の中と人とは切り離せないものだわ。人が変われば世の中も変わるだろうけど、その逆もまたしかりなの。たとえば、それまで何の役割も与えられてなかった人が、ある日突然社会の中で役割を与えられると、それ以前とは全く違った言動をすることがある。政治家なんか特にそうね。私が思うに、今の世の中は人に興味を持ちすぎなの。悪い政治家が現れても、それは個人の資質の問題にされてしまって、そういう政治家を生み出した世の中に批判の矛先が向くことはない。歴史的に見れば、誰も主観的には悪いことをしていないのに、悪が為されたことはいくらでもあるわ。ならば、そういう人の主観を形成した要素、環境要因、すなわち社会に目が向けられるべきなのにね。そういう今の世の中のおかしさが、こういう大衆小説に如実に表れていて、私はそれが気に入らないって言ってるのよ」
「なんだか、いっぱしの評論家みたいな口ぶりだね」
「気に入らないことを気に入らないって言うだけの人間は、評論家なんかじゃないわ。なりたいとも思わないけどね」
 そこまで言い終わって始めて、彼女は僕が持っていた本に目を留め、突然、交換して読もうと言い出した。僕は言われるがままに従った。
 彼女はその本を斜め読みして、やれ「人間中心主義的で楽観的過ぎる。いかにも昔のSFだ」とか「ご都合主義的だ」とか散々文句を言っていたが、その割に気に入ったらしく、精読したいので借りたいと言ってきた。僕はもちろん喜んで貸したが、なぜか彼女のライトノベルは返さねばならなかった。が、一足す一は一なので、文句も言わなかった。