田中は山中からパソコンをひったくるように受け取り、真っ先にSNSにログインした。そこには、田中の友人知人の多くが、情報を求めて叫び、逃げ惑っていた。田中はそれに答えて、避難に必要な情報を検索して探してきて、自分のタイムラインに貼り付けた。
「山中さんも手伝ってください! 避難に必要な情報を集めて、発信するんです!」
  田中が言うと、山中は打たれて響いたかのように答えた。
「俺はウェブ屋だ。いま馴染みの顧客を手伝って、避難情報のポータルサイトを管理するのに大忙しだ」
「アドレス教えてください」
「メールで送る」
  二人がパソコンを駆使して戦っている間に、事態の全容が大体つかめてきた。
  革命が燎原の火のごとく燃え広がっていた北朝鮮は、数日前からデモ隊の虐殺を始めていた。日米韓は、中露の黙認を取り付けて、虐殺をやめさせるため北朝鮮を軍事攻撃した。すると北朝鮮は強く反発し、今彼らは、日米韓が不当な内政干渉をやめるまで、ミサイルの発射を続けると言っている。
  正午過ぎに、日本政府高官が日本が北朝鮮と単独講和することで調整すると発言したという報道が流れたが、北朝鮮は在日米軍の日本国外への即時撤退を単独講和の条件としてつきつけた。すると、米国政府は強く働きかけて、日本政府内の単独講和の動きを握りつぶした。結果、日本は北朝鮮との戦争を続け、その報復としてのミサイル飛来は止まらなかった。
  夕方になると、日本周辺に展開していたた日米の迎撃ミサイルが弾切れになった。だが、北朝鮮はこの日のためにとっておいた山のようなミサイルを、その後も吐き出し続けた。いまや、毒ガスを積んだミサイルは、何も遮るもののない空を一直線に日本に降り注いだ。
  結局、日本時間の日没直前、他ならぬ日本からの強い要請を受けて、アメリカ軍が平壌を核攻撃するまで(正確にはその後数十分まで)、ミサイル攻撃は続いた。
  つい昨日まで、核のない世界を訴えていたマスメディアは一斉に、アメリカはなぜもっと早く核を使わなかったのかと叫んだ。この件については、後に、アメリカは核攻撃に対する中露の了承を取り付けるのに時間を使っていたと分かる。ただ、それとは別に、迎撃ミサイルを十分撃っておかないと、ミサイル防衛推進は無意味だったとして政治家が責任を問われかねないので、迎撃ミサイルが弾切れになるまで待った、という噂がまことしやかにささやかれたりもした。その後しばらくは、以前は見向きもされなかった核武装論者が、テレビに雑誌に新聞にと、引っ張りだこになった。

「山中さん、やっぱりあなたは口が悪いだけで、いい人ですよ」
  日没と共に戦争は事実上終結したが、二人の戦いは深夜まで続いた。田中のタイムライン上の友人達は、この時間になってようやく家に帰り着くか、避難所に腰を落ち着けるかすることができた。音信不通になった者もいた。ネットにアクセスしていないのかもしれないが、死んだのかもしれない。
  だが、ともかく、深夜になって二人はこの日初めての食事を取った。そこでの席上で、田中は言ったのだ。
「俺がいい人だって? 急になんだよ」
「だって、みんなを助けるために奔走したじゃないですか」
  それを聞くと、山中は深いため息を漏らした。
「それは正しい表現じゃないな」
「……?」
「俺も含めて、人間はいい人になれる時もある。だが、いつもそういうわけじゃない」
  山中はそう言うと立ち上がり、パソコンを取ってきて、何やら操作すると、画面をこちらに向けて見せた。そこには、英語で書かれたタイムラインが表示されていた。多種多様なアイコン……いろんな国の、いろんな人々が、いろんなことを書き込んでいる。
「君は英語が読めないんだったな」
  山中はそう言うと、画面の横からのぞき込むようにしながら、人差し指を使って解説を始めた。
「これは、こう書いてある。『今日の夕食はイタリアン。イタリア人はどうしてこう秀でている面と劣っている面の差がはっきりしてるんだろう』。オーストラリアからだな。こっちはインドから『インド産もいいが、紅茶はやっぱりセイロン産に限る』。イギリスでは『地下鉄で事故らしい。今日は大事な会議なのに。最悪』」
「……で?」
  田中がわけがわからずにいると、山中は笑った。
「田中くん。君は時刻表示も読めないのかい? これらのつぶやきは、平壌に核が投下されたというニュースが世界中に伝わった直後……日本時間の午後六時過ぎのものだよ。一発の弾頭で数十万の命が失われたという時間に、世界中の人たちが考えていたことさ。まったく、人間の善性とか、共感能力とかいうものを疑いたくなるね。でもまあ、おあいこというものだね。僕たち日本人だって、挙げればきりがないほどの数の虐殺に対して、こういう反応を返してきたんだもの。ついこの間、すぐそばの北朝鮮で、デモ隊が虐殺された時だってそうだった……」
  田中は、だんだんと、山中の言いたいことが飲み込めてきた。それと同時に、山中がどうしてこんな山奥で孤独な暮らしを続けているのかも、分かる気がした。
「田中くん。人間には、いい人間も悪い人間もいない。ただ、一人の人間の中に、輝かしい良い面と、ぞっとするような悪い面が同居している。そういうことなんだ。俺たちはただ、それに無自覚なだけなんだよ」