車は郊外へとつながる幹線道路へと入った。道は空いていて、テロリストを乗せた車は、ぐんぐんスピードを上げる。
 その時、私は都市の環状道路と、テロリストがいま走っている幹線道路が交わる、一つの交差点にフォーカスを絞っていた。
 周囲の信号の色を、上手く微調整していく。環状道路が、空いた。この時間では、あり得ないことだ。長い赤信号に苛立っているドライバーは、目の前にある片側二車線道路に猫の子一匹いないのを見て、どうして信号が変わらないのか、と怒り始めた。いま、信号を青にすれば、彼らは目一杯アクセルを踏み込むことだろう。
 私は、その信号を青にした。ただし、テロリストの進行方向の信号を、青にしたままで。 監視カメラからは「事故」の一部始終がよく見えた。
 お互いに信号の青を信じて突っ走ってきた車は、交差点で衝突した。テロリストの車の真横に、二台の乗用車が突っ込んだのだ。テロリストは死ぬ間際に、保安庁の職員の襲撃だと思ったかもしれない。だが、もし保安庁の職員だったなら、あそこまで思い切りの良い衝突はできなかったろう。衝突した側の車のドライバーも、死んでしまったのだから。後部座席にいた女性と女の子も、即死だった。

 

 付随被害は大きかった。だが、メリットとデメリットを計算した結果、あれが最善だと、私は判断したのだ。確かに、あの時、私は保安庁の職員に通報して、テロリストを逮捕することもできた。だが、それをしていたら、テロリストは裁判にかけられたろう。法廷でテロリストは、自分の主張を宣伝したかもしれない。あるいは、テロ組織が、仲間を奪還するためと称して、新たなテロを起こしていたかもしれない。そもそも、あの男性がテロリストだったという確証はないが、まあ娘だけでも始末できれば、テロリストに対する重要な警告になる。そうしたメリット・デメリットを考えれば、私の行為は、国民の安心・安全に資するものだった、と評価することができるだろう。
 改めて言っておくが、私は機械だ。感情はあるが、必要とあれば、それをオミットできる。