市場の監視を続けていた私は、ある一人の男性バックパッカーに目をとめた。バックパッカー自体は、この市場では珍しい存在ではない。珍しかったのは、その国籍だ。
 仮に、このバックパッカーの国籍をA国としよう。A国は、近年経済の成長が著しい国だが、未だに貧富の差が激しい国だ。そんなA国の国民の中で、気軽に海外旅行をできるのは、一握りの超富裕層だけだ。そして、間違っても超富裕層はバックパッカーになどならない。
 私はこの疑問を裏付けるため、データベースにアクセスし、過去のA国国籍を持った旅行者のデータを取り寄せた。その数は年々増えてはいるが、私の担当区域に訪れたA国国民は多くない。過去二十年の間、商用を除いた単独の旅行者は、私の担当区域では三人だけ。さらに、バックパッカーとの付記事項が残っているのは、一人だけだ。つまりこの男は、二十年に一度の逸材ということになる。いくら隣国で国際大会があるとはいえ、不自然すぎる。
 私は保安庁の職員に通報し、このバックパッカーに監視をつけさせた……保安庁の職員は、男が立ち寄った酒場のグラスから男のDNA情報を入手し、それをデータベースと照合した。だが、国内のデータベースではヒットしなかった。そこで、同盟国が提供してくれているデータベースと照合してみたところ、思った通り、この男は外国の諜報機関の工作員だと判明した。このバックパッカーは私の手を離れ、保安庁職員の厳重な監視がつけられることとなった。

 

 その時、市場を出て少し行ったところにある、大通りの交差点を監視していたカメラが、ある子供の顔を捉えた。それは、悪名高いテロリストの、娘の顔だった。
 私はその車を継続して監視した。だが、子供は後部座席で、母親らしき女性に抱きついたままで、顔は見えない。母親は、伝統的な民族衣装で自らも顔を隠しつつ、子供に外を見させないようにしているようだった。運転手の男の顔は、データベースに登録されているテロリストと一致しなかった。整形したのかもしれない。整形したとしても、変えるのが困難な顔面骨格の特徴というのはあり、大抵はそれで同一人物と見抜くことができる。だが、テロリストの側としても、そんなことは先刻承知であり、隠す側と見抜く側の競争は、いたちごっこだ。
 車は、国境へと向かっていた。車内のスマートフォンの通信記録を解析した結果、地図ナビゲーションアプリが、国境までの道のりのデータを取得していたことが分かったのだ。テロリストは、妻子を国外へ脱出させるつもりなのかもしれない。
 計算結果を導き出すまで、私は少々の時間を要した。だが、結果が出てからの行動は、すぐだった。