そんなある日のこと。住んでいるアパートのチャイムが鳴って、俺は、またセールスか、買う金なんかないのに、と舌打ちしながら、玄関のドアを開けた。
 訪ねてきたのは、スーツ姿の男二人組だった。怖い目つきをしている。押し売り……にしては、真剣すぎた。
 年かさの男が言った。
「我々は公安警察だ。お前を逮捕する」
「……は?」
 何かの冗談だろうと思った。俺の昔の友人が、なかなか再就職先が見つからない俺に発破を掛けるため、どっきり屋さんを雇ったのだと思った。
「おいおい、待ってくれ。俺はちゃんと求職活動を続けてるぞ」
「残念だが、お前に対する容疑は労働義務不服従ではない。平和に対する罪だ」
「何だって?」
「平和に対する罪だ」
 そう言って男が俺に突きつけた書面には、確かに、俺の名前の下に「平和に対する罪」と書かれていた。逮捕状らしい。
 平和に対する罪……敗戦国の指導者や国民を虐殺した独裁者に課される、あれだろうか。しかし俺は敗戦も虐殺もしていない。
「お、おい……」
「とにかく、一緒に来てもらう」
 男は二人して俺を取り押さえ、俺の手に手錠をかけた。

 

 連行された警察署で、俺は厳しい取り調べを受けた。
「お前の指導者の名前を言え」
「指導者だって? ……高校の恩師は松本先生だが」
「ふざけるんじゃない! お前にあのブログを書かせた人間だ」
「最初からそう言え……分かった、すまない、だから怒るな。えーと、面接に出てきたあの男だろ。噴飯ものの七三分けが印象に残っているが、名前は……なんだったかな。石坂とか言ったかな」
「それは偽名だ。本名を言え」
「あんた、本名を知らないのにどうして偽名だと分かる」
 刑事は訳の分からない怒鳴り声を発して、一息つくと、もう一人の刑事と交代した。
「なあ、お兄さん」
 と、もう一人の刑事は優しく語りかけてくる。おお、刑事ドラマみたいだぞ。
「あんたはまだ気づいていないみたいだが、あんたはだまされてたんだよ」
「だまされてた?」
「そうさ。あの石坂っていう偽名を使っていた男。あいつは反体制過激派なんだ。あんたは政府転覆の企てに利用されたんだよ」
 刑事の説明はこうだった。俺が失業者の分際で呑気に暮らしているブログを書く。あまつさえ、金のかからない遊び方のブログを書く。すると、それを読んだ読者が、働かなくてもそれなりに暮らしていけると思い込み、働かなくなり、社会が崩壊する。
「そんな……」
「石坂はそれを狙って、あんたにあんな仕事を頼んだんだ。石坂に資金を提供していた筋も分かっている。この国に敵対的な外国政府の情報機関だ」
「……お、俺は……」
 俺は思いの丈をぶつけた。
「俺は何もしていない!」

 取調室で夜通し取り調べを受けた後、刑事が、俺を別の場所に移送すると告げた。
 その直前、怒鳴り役の刑事が「組織の全容を言え!」と怒鳴り、なだめ役の刑事が「大丈夫、正直に何もかも話せば大した罪にはならない」と諭すというのが何回も繰り返されていた。俺はそれに対し「本当に何も知らないんだ」と訴えていた。
 そしたら、移送するという。
 移送されたら、もう、出てこれない。そんな気がした。
 俺は護送車に乗せられた。窓の内側に鉄格子がついている、あれだ。車内は広かったが、俺一人だった。公安刑事が近寄ってきて、俺に目隠しをする。死刑囚の気分。
 護送車が走り出す。
 ずいぶん長い間、走っていたように思われたが、実際にはさほどでもなかったような気もする。とにかく、その時、それは起こった。
 護送車全体に大きな衝撃が走り、車体が大きく横滑りした。俺はその動きに振り回されつつも、事故にあったのだということは理解できた。
 隙を見て逃げだそうか、との思いがよぎる。だが、そんなことをしてもすぐ捕まって後悔するだけだろう、と、この時はそう思った。が、すぐに俺は、逃げ出しておけばよかった、と後悔することになる。
 銃声が聞こえたからだ。それも、一発ではない。断続的にでもない。連続して聞こえてくる。一体何丁あるんだ、と思う。しかも、どうやらその全てがこちらに向けられているようだった。というのは、窓ガラスが次々と砕け、その内側の鉄格子が弾け飛ぶ音が聞こえたからだ。銃声に混じって、警察官のものらしき怒声も聞こえる。
 俺はとっさに座席に突っ伏したが、他に何をしようということは思いつかなかった。
 銃撃は一分ほど続いた。突如として静寂が訪れ、俺はふと、少しぐらいなら、と、恐る恐る、手錠をかけられた手で目隠しをずらした。
 護送車の通路には、窓ガラスと鉄格子が散乱していた。奥の方に、運転席が見える。その近くの床が赤く染まっているのは……血だろうか、やっぱり。
 と、昇降口のところから、覆面をした人間が登ってきた。片手には拳銃を持ち、肩紐でライフルをぶら下げている。
 石坂の仲間が俺を口封じに来た……というストーリーが思い浮かんだが、だからといってどうなるものでもない。俺はハリウッドスターではない。ただ、その覆面が近づいてくるのを見守るしかなかった。
「意識はあるな」
 俺の顔を覗き込みながら、そいつは言った。
「早く立て。今度捕まったら、その場で射殺されるぞ」

 護送車の昇降口で、警官の死体をまたがねばならなかった。俺がそれに顔をしかめると、覆面は「あんたを助けるためには仕方がなかった。あんたが、その警官のために死刑になりたかったっていうんなら、申し訳ない」覆面の声色には謝罪の気持ちなど一片もなかったが、俺はまあ、さほど気になったわけではない。膝は震えていたが。