「信一兄さん……そこまで分かっていて、兄さんは志願すると言うのですか」
「分かっているから志願するんだ」
 私の声には、どこか詰問するような調子がありましたが、長兄はあくまで凜としていました。
「この戦、行き着くところまで終わらん。だったら、指を加えて見ているなど御免だ」
 胸を張ってそう言い切られると、私にはもう、かける言葉はありませんでした。
 しかし、私はその必要も感じませんでした。なぜなら、言い終えた長兄の目には、燃え盛るような愛の輝きがあったからです。
 みんな薄々、何かがおかしいと気づいていつつ、それでも戦争に行く。なぜなら、愛する人がいるから……みんな愚かだと、長兄は分かっていましたが、ならそんな愚かな、愛すべき人々に寄り添いたいと、長兄は言いたかったのだと思います。
 その愛は腐っている、と糾弾するのは簡単なことでした。しかし、私はそうはしませんでした。したいとも思いませんでした。なぜなら、腐っていない愛などないと思ったからです。暴力をなくしてしまったら、愛もなくなってしまうと、私には分かっていましたから。私にできるのは、ただ、その現実を受け入れることだけでした。受け入れて、せいぜい、暴力と愛が、完全に同じものになってしまう前に、この戦争が終わって欲しい……できるだけ早く、と、願うことだけでした。
 長兄はもう一度、口を開きました。
「真。私の決心が固まったのは、お前のおかげでもある」
「僕の……?」
「ああ。思えば、お前は昔から……何というか……規格外だった。学校を辞めて落ち込んでいるかと思えば、家庭教師に勉強を教わるのが当たり前になると、けろっとして、その日常を受け入れた……どうやら大学に行けそうだと思っていた頃に、今度は飛行士になるなどと……正直、私は呆れていた。お前はこのまま、そこらをほっつき歩いている、くだらない放蕩息子になるのかと思っていたよ」
 私自身はごく稀にしか意識しないことでしたが、実際、私の入営以前の人生は、傍から見たら、自堕落の極みだったと言えましょう。
「だが、そんなお前が、戦争が起きてすぐに志願した……あの時ほど、お前の中に、自分と同じ血が流れていることを意識して、誇りに思ったことはない」
 すると、次兄が茶々を入れてきました。
「なんだそりゃ。見損ない過ぎなのか、買いかぶりすぎなのかわかりゃしねえや」
「確かにな」
 そう言って、長兄は苦笑いしました。
「真。俺は、お前の立てた軍功が大きいから、こんなことを言っているわけじゃない。自分以外の何かのために、命を賭けて戦った。俺の弟は、身勝手な遊び人ではなかった……それを知ることができて良かった。だから俺も、志願する勇気が出たんだ」
 私は別に、戦争さえなかったら、くだらない放蕩息子でも、身勝手な遊び人でも良かったのですけれど、そのことは言わずに、代わりにこう言いました。
「兄さん、僕はそんな立派な人間じゃありません。けれど、どんな高位の勲章より、今の兄さんの言葉の方が、僕には誇らしい」
 私がそう言うと、長兄ははにかむような笑みを浮かべながら、杯を口に運びました。
「小さかった真も、言うようになったな」
「あ、それ、さっき俺も言った」
 次兄が絡んできます。そして、私たち三人は笑いました。

 

 翌朝早く、長兄と次兄は連れだって出発し、長兄は最寄りの陸軍基地へ、次兄は都会の工場へと向かいました。
 私はというと、その後、十日ほどゆっくり自宅で静養しました。その間、ついに村人からの懇願を断り切れなくなり、座談会なるものの中心に据えられて閉口したりもありましたけれども、生まれ育った村で過ごす束の間の休息は、私にとって意義深いものでした。
 静養の合間に、私はまめに新聞や雑誌をめくり、特に欧州戦線の状況を詳しく知ろうとしました。英国軍と連合軍との激戦は続いているとのことでしたが、目立ったのは、英国軍が、新国人や日本人、その他の連合軍捕虜を虐待しているとの批判でした。
 戦後の今、このことを振り返るにあたり、私は確固とした言葉を持ちません。捕虜の虐待は裁かれるべき戦争犯罪であるというのは大前提であり、戦後、たまたま知り合った退役日本兵に、英国の捕虜収容所での体験を聞いた私としては、固くそう思います。
 一方で、捕虜の扱いについて間違った教育を施されていた英国軍人や、国力の脆弱さのあまり物資が窮乏していた当時の英国の状況は、多かれ少なかれ同情に値すると思います。それに、連合国にも捕虜の虐待を始めとする戦争犯罪はあったというのも、全くその通りです。私も、撃沈された中帝軍の軍艦の乗組員が海上を漂流しているところに、繰り返し機銃掃射を浴びせる日本軍戦闘機を見かけたことがあります。
 しかし、法廷の中か外かという違いはあるにせよ、裁かれるべき人間は裁かれるべきであり、罰を受けるべき人間は、やはり罰を受けるべきでありましょう。

 

 いよいよ戦地へ向けて立つ朝、私は庭に出て、青々とした桜の木を見上げました。ああ、そうだ。もしかしたらもう、この木が花を咲かすところを見ることはないかもしれない、と思った私でしたが、しかし、そう大して感慨にふけることもなく、次の瞬間には、枝葉の向こうに透けて見える青空へ、その先の戦場へと、目の焦点を移していました。