結局、そんな騒ぎがあったせいで、夜の宴会は取りやめになってしまいました。親戚の中には、戦争が続いてる中、久しぶりに羽目を外せると思ったのになあと残念がっている人もいましたが、正直なところ、私には願ったり叶ったりでした。戦場の話は、宴席で披露するには華がなさ過ぎたからです。仮に私が心を固く閉ざして、空の上での殺し合いに色を付けて語ったとしても、聴衆は私の態度や語り口から、私が不機嫌でいるのを知ることになるはずでした。
 久しぶりに帰ってきた自分の部屋で、一人畳の上の布団に身を横たえるのは、いい気分でした。基地では夜間空襲に備えるため、常に一定の人数が活動しているので、兵営で過ごす夜は、どこかに人の気配を感じました。しかし、その夜、私が生まれ育った家はことのほか静かでした。
 季節は初夏でしたが、夜はまだ涼しく、空気は澄み渡っていました。障子を透かして、月明かりがかすかに部屋を照らしています。息を吸う度に、品の良い井草の香りが、私の胸の中に広がりました。
 ああ、これだ、と私は思いました。
 これだけが昔と変わらない、と、私は思いました。戦争で、人間たちは何もかも変わってしまったように見えました。いえ、一見すると、ほとんどは変わらぬままです。みんな、仕事をして、食べたり飲んだりして、文句も言いますし、軽口も叩きます。それでも、やはりどこか違いました……たとえば、平時だったら、私が無茶なことを頼んだらにべもなく断られるところなのに、戦時なら「戦争のためだから」と一言言うだけで、相手が応じてくれそうな、そういう雰囲気がありました。現に「今夜は空襲があるかもしれないから」と言われれば、言われた兵士は一晩中起きていましたし「敵機に目標を教えてしまうから」と言われれば、市井の人々はみな暗くなると電気を消しました。
 しかし、自然は変わらないでいてくれる……それは、優しくもあれば、残酷でもありましたけれども、私は一瞬、俗世を離れて自然の中で暮らしたい、という思いにとらわれました。
 もし実行すれば、脱走ということになったでしょう。私はそれを思って少し笑いました。自分が、できもしないことを考えているのが分かったからです。物理的にできないとは言い切れなかったでしょう。しかし、私の中の何かが、いまこの場を離れることはできないと告げるのでした。
 きっと、それは愛でした。自然を嫌って、人間の俗世のことに右往左往ばかりして生きることが、愛のある生き方とは思われないのは、私には明らかなことでした。が、人間を嫌うあまり、俗世との関係を断って、完全に自然の中に入るのは、それはそれで、愛のないことであるように、私には思えるのでした。
 じゃあ、どうするのがいいのだろう……私は考えました。きっと、言葉で考えるのがよくないのだ、と私は思いました。人間が好き、人間が嫌い。あるいは、自然が好き、自然が嫌い。どれも全て嘘です。実際には、ある人はある対象に対して、好きと嫌いの中間にある、浮動的な感情を抱いているのです。完全に好きになることも、完全に嫌いになることも、人にはできないのです。言葉は極端です。真実は常に、言葉と言葉の間にある……私はそう思います。