一九四二年は、少なくとも日本列島周辺においては、比較的静かな年でした。もちろん、欧州や北部戦線では激しい陸戦が繰り広げられていましたし、日本周辺でも潜水艦戦や中帝の小規模な空襲は続いていました。また、日本と新国(義理堅い陽虎が英国に追随して新国に宣戦したので、新国は対中戦争にも参戦していました)による中国空襲もあったりしました。が、日本の吐炎乗りである私に限っては、そのいずれの局面においても、あまり出番がありませんでした。
 実は、吐炎には一つ大きな弱点がありました。航続距離が短い、つまりすぐ燃料切れを起こすのです。これは、日中航空決戦のような防空戦においては問題になりませんでしたが、中国本土まで爆撃機を護衛するとなると、吐炎には全くお手上げで、新国軍の戦闘機に任せるしかないのでした。また、この頃の中帝の空襲は夜間が主でしたが、夜間戦闘もまた、吐炎の不得手とするところでした。
 そんなこともあったので、私は飛行隊長に対し、欧州戦線への転属を願い出ました。
 私を前にした飛行隊長は、前年に中帝の大編隊と戦ったと時でも出さなかったような、渋いうなり声を上げました。
「どういうつもりだ……お前は関東出身だったろう」
「は?」
「いや、何でもない。アテルイが関係ないとなると……」
 その一言で、私はようやくぴんと来ました。対英開戦直後、トラファルガーの海戦において、日本軍欧州艦隊が誇る戦艦・アテルイが、英国軍の巧みな航空攻撃によって撃沈されていたのです。蝦夷……今は全てアイヌと呼びますが……の英雄の名を冠したアテルイの撃沈は、特に北日本出身の日本人を憤慨させていました。
「そんなに戦いたいのか?」
 と、飛行隊長は聞きました。
「僭越ながら、自分は英国に対して深い造詣があります」
 私は自分の希望を述べるのではなく、軍の利益を指摘した方が、上官には受けが良いだろうと打算しました。
「入隊時に申告したことですが、自分はかなり高度な英語を話せるだけでなく、英国文化への理解も深いと自負しております。英国との戦争になら、人一倍お役に立てると存じます」
「……むう」
 はきはきと物を言った私でしたが、飛行隊長は、やはり難しげでした。
「いいか、桐鞍。これから話すことは他言無用だ」
「仮にも自分は士官です。軍規は承知しております」
「うむ。はっきりとは分からんが、上はどうやら、半島上陸を本気で考えているらしい」
 飛行隊長は他言無用などと言いましたが、日新の連合軍が、朝鮮半島への上陸を準備しているという噂は、軍内はおろか、日本中に知れ渡っていました。おそらく朝鮮も中帝も先刻承知だったでしょう。
「まあ、そうでしょうな……中帝の増長に歯止めをかけねばならんでしょう」
「無論だ。それに、東南アジアの戦況も余談を許さない」
 中帝軍は、北部戦線の他に、日領インドへの侵攻も企てており、連日、通り道となる東南アジアの熱帯雨林では、日中両軍の間で激戦が繰り広げられていました。
「日本の未来を考えた時、どちらが優先されるべきかは明らかだろう、桐鞍中尉。私は愛国者だが、現実はわきまえているつもりだ……欧州は遅かれ早かれ、新大陸合衆国の物になる。日本は、本土に近いアジア地域での足場固めに専念するべきだよ」
「しかし……」
「我が隊にも、半島への上陸作戦や、あるいは、東南アジアでの働きを求められる時が来るかもしれん。その可能性の方が高い。今はゆっくり休んで英気を養え、桐鞍」
 こうして、私の転属願いは却下されてしまいました。