さて「大陸進攻(二)」を掲載するにあたってもちろん掲載部分を読み返したのですが、なんというか、自分で書いた文章に赤面してちょっと作業から離れていました……。

 

女の子とのやりとりはともかく、作中で説明されている内容は、ほぼ全面的に名著「戦場における『人殺し』の心理学」に依拠しているので、今回はこの本の紹介をメインに進めていきたいと思います。

 

 

タイトルとは裏腹に、ヒューマニズムに貫かれた内容

書名を見ると、そのおどろおどろしい響きにぞっとなってしまうかもしれませんが、書かれている内容からは、タイトルとは裏腹に、著者の人間に対する深い信頼、ヒューマニズムが感じられます。

 

本書の内容は大体「大陸進攻(二)」で書いたとおりです。戦場で兵士は、驚くほど人殺しをためらうということが、研究の結果で明らかになっています。中には、敵に向かって発砲した振りだけをして、わざと明後日の方向に銃弾を外す兵士すらいるとされます。

また、もし兵士たちが射撃訓練と同じように、射的の的を撃つように相手の兵士を撃っていたなら、実際よりも遥かに高い命中率、そして多い死傷者数が出ていたはずであることも、本書は指摘しています。戦場で戦死した兵士の数を数えて逆算すると、多くの兵士がわざと狙いを外していたとしか考えられないというのです。

 

その上で、人が人を殺すには、あるいは殺しやすくなるには、色々な条件が必要であることを本書は明らかにします。それは物理的な距離とか心理的な距離とか説明されますが、いずれにせよ重要なのは、有史以来絶え間なく戦争を続けてきた私たちの体の中に、そうした利他的な本能が刻み込まれているという、多くの人が心を慰められるような事実です。

 

しかし一方で、本書はそうした「殺しに対する心理的障壁」を乗り越えるために、各国の軍隊が研究を進め、その成果が既に出ていることも知らしめています。

 

Man_silhouette

たとえば、この画像のような人型の標的を使って射撃訓練を重ねるだけでも、兵士の心理的障壁はかなりの程度取り除かれると言われます。さらに、訓練で好成績を出した兵士に報賞を与えたり、移動する標的や、銃弾が命中したら倒れる標的を使うなど、現代の軍隊はあの手この手を使って兵士の発砲率を高めようとしています。

その結果、第二次大戦の米兵を対象にした調査では、せいぜい20%にすぎなかったとされる発砲率は、ベトナム戦争の時には90%を越えたとされます。

 

よく「サイボーグ化や脳とコンピューターの接続が、人間のあり方を変えてしまう」などと言われますが、そんなことまでしなくても、人間は科学の力で人間のあり方を変えてしまえるところに、もうとっくに到達している……そう思わずにはいられない逸話です。

 

 

1943年~1944年の戦況

前回掲載分「大陸進攻(一)」では戦況がほとんど動かなかったのですが、今回は(描写は地味ですがw)いくらか動きがあったので、欧州戦線を中心に、そこも少し触れておこうと思います。

 

Bundesarchiv_Bild_101III-Zschaeckel-206-35,_Schlacht_um_Kursk,_Panzer_VI_(Tiger_I)この頃の東部戦線(ドイツとソ連の戦い)では、スターリングラード攻防戦に大敗したドイツ軍が敗走を重ねています。ドイツ軍は反撃に3000両ともいわれる数の戦車を繰り出して攻勢をかけますが、質・量ともに頑健となったソ連軍を撃破することはできず、敗色はいよいよ濃くなっていました。(画像はドイツ公文書館より)

 

sicilly_invasion作中では朝鮮王国が連合軍が上陸するなりさっさと降伏して、その後一騒動あったということになっていますけれども、転生元である当時のイタリアも大体そんな感じです……いえ、朝鮮民族に悪意はないんですよ? 繰り返しになりますが。


 

1944_NormandyLSTその後、イタリア北部の山岳地帯に立てこもったドイツ軍の防衛線を突破するのは諦めて、連合軍は反対側のフランスに上陸することにしました。これが世に名高い「ノルマンディ上陸作戦」です。映画、ゲーム、海外ドラマなどの題材にもなっていますから、聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。

 

Bundesarchiv_Bild_183-1985-0104-501,_Ardennenoffensive,_Grenadiere_in_Luxemburg既にソ連方面やイタリア方面の前線を抱えていたドイツ軍はフランスからやってきた米英軍の攻勢をとても支えられず、一方的に押されて行きます。冬の荒天で爆撃機が飛べない隙を狙った、最後の攻勢「アルデンヌ攻勢(バルジの戦い)」も、最前線の米英兵においてはその恐ろしい勢いが今でも語りぐさとなっていますが、戦争全体としてみれば焼け石に水でした。(画像はドイツ公文書館より)

 

Me 262 ~世界初のジェット戦闘機にして、ドイツ軍最後の傑作戦闘機~

考えてみれば、英空軍の主力戦闘機「スピットファイア」についてはやたらと熱心に紹介してきた私ですが、ドイツ空軍の戦闘機をほとんど紹介していませんでした。ついでにここにまとめちゃおうと思います。

 

640px-Messerschmitt_Bf_109G-10_USAFドイツ空軍の主力といえば、何と言っても「Bf 109」です。メッサーシュミット博士の設計であることから「Me 109」と表記されることもあり、口語では単に「メッサーシュミット」と呼ばれることもあります。小説の作中では「山飛一〇九」の名で登場します。


 

優れた急降下性能を生かした一撃離脱戦法を得意とした戦闘機でしたが、意外と旋回性能も悪くなかったとも言われています。

ただ、設計にゆとりがなく、そのための武装の貧弱さには常に悩まされた戦闘機でした。

それでも、大戦全期を通じてドイツ空軍の主力であり続け、派生型を総計して述べ30000機以上が生産されたと言われます(おそらく世界で最も多く生産された戦闘機でしょう)。

 

640px-Focke-Wulf_Fw_190_050602-F-1234P-005一方、ドイツ空軍の主力戦闘機として、Bf 109と双璧をなすのが「Fw 190」です。109と190で紛らわしいですが、この数字は単なる偶然です。こちらも単に「フォッケウルフ」と呼ばれることもあります。小説では「林狼一九〇」の名で登場します。


 

Fw 190もBf 109と同じく、急降下性能を生かした一撃離脱が得意でしたが、類い稀な横転の速さを持ち、さらにBf 109と違って設計にゆとりがあったことから、強力な火器を備えた上で、戦場の過酷な環境でも比較的高い稼働率を誇ったと言います。ただし、高高度性能だけは全般的に劣っていたために、高空から侵攻してくる英米の爆撃機を迎撃するには、Bf 109が向いていたようです。

 

 

Messerschmitt_Me_262A_at_the_National_Museum_of_the_USAFさて、ではこの項の本題。作中名「山飛二六二」、史実では「Me 262」と呼ばれた戦闘機のお話です。

Me 262は世界初の実用ジェット戦闘機です。大戦末期のドイツ空軍で活躍し、連合軍の戦闘機には歯が立たないほどの最高速度を武器に、主に爆撃機の迎撃任務に当たりました。


 

 

といっても、当時のジェットエンジンの技術はまだまだ未熟で、Me 262も最高速度以外の性能は戦闘機としてダメダメでした。このため、離着陸時を狙われたり、急旋回などでうっかり速度を落としてしまった時には、簡単に撃墜されてしまうこともしばしばだったようです。戦争末期には未熟なパイロットも多くいましたので、そのために損害も増えたと言います。

 

640px-Messerschmitt_Me_262_Schwableまた、作中では本機がロケット弾の弾幕射撃で一瞬にして多数の爆撃機を葬り去るシーンが描かれますが、あれもおおむね史実どおりです。初期は機首の大口径30ミリ機関砲(口径12~20ミリが標準だった中で30ミリとはかなり強力な機関砲でした)を武器にしていたのですが、その後ロケット弾を多数搭載し、斉射する戦術で連合軍の爆撃機に損失を強いたと言います。

しかし末期のドイツ軍にMe 262を大量生産する力はもはや残っておらず、連合軍の侵攻を押しとどめることは到底叶わぬ話でした。

 

 

ドイツのジェット戦闘機と、日本の意外なつながり

なお、後日談として、こんな話があります。

 

戦後、米ソを中心とする連合軍は、優れた兵器を次々と産み出したドイツ軍の軍事機密を競うように収集しました。Me 262に関する情報も、無論その中に含まれました。

そこで、米軍は後退翼が飛行機の最高速度を引き上げる効果について初めて知ったと言います。

 

後退翼とは、今ではすっかり当たり前になった、やや後ろ向きに角度のついた翼のことです。このような翼の形状が最高速度を引き上げることは、戦前は知られていませんでした。だから、戦前の飛行機には後退翼機は(私の知る限り)ありません。この後退翼は、Me 262で初めて導入されました(ちなみに、ドイツの技術者が後退翼効果を発見したのも、単なる偶然だったと言われています)。

 

後退翼には速度が遅い時にはいろいろまずい点もあるのですが、最高速度を引き上げられるとなれば、多少の欠点には目をつぶってでも、軍用機には是が非でも導入しなければいけない新技術でした。

 

F86_sabreそうして、Me 262の後退翼を参考にして生まれたのが、1950年代の米空軍の主力戦闘機「F-86」です。

この戦闘機は主に朝鮮戦争での活躍が知られていて、その後、日本の航空自衛隊で採用されました。

F86Blue_Hamamatsuそして、この航空自衛隊のF-86は、実は東京オリンピックの開会式で東京上空に五輪の輪を描いた飛行機なのです。

今でも時々、東京オリンピック開会式で、F-86が五輪を描く映像が、テレビや映画などでも流れます。

 

そのたびに、遠くドイツで生まれ、短い命を散らせた儚い飛行機のことを、思い出すのも一興かもしれません。