東暦一九四五年九月。大英帝国の降伏により、第二次世界大戦が終結してすぐ、私は日本空軍の主力戦闘機「吐炎(とえん)」に乗って、空路から英欧海峡を渡りました。
 上空から見下ろす英欧海峡は、本当にちっぽけなものでした。私は、飛行機なら一またぎで越えてしまうこの海を越えるために、どれほどの人命が失われたかを思い起こし、背筋がぞっとなったのを覚えています。
 が、それも過ぎたことです。戦争は終わったのです。
 思えば、中華帝国の満州侵攻により、第二次世界大戦が勃発したのは、三九年の九月のことでした。四〇年の春には、中華帝国はかつての軍事的天才、華南皇帝・孫敏が成し遂げて以来、およそ一五〇年ぶりに中国大陸統一を達成しました。しかし、それからわずか五年後には、我が大日本帝国を初め、新大陸合衆国、スボール社会主義共和国連邦などの反撃により、中華帝国は滅亡、独裁者の陽虎は自殺します。英国もまた、欧州大陸の覇権を巡って、四一年から連合国と交戦状態にありましたが、アジア戦線の終結から数ヶ月後、満身創痍となった英国は、降伏勧告を受け入れました。
 終戦時、欧州で戦闘機隊を率いていた私は、イングランド西部の片田舎の基地に降り立ち、占領任務に加わることを命じられました。
 私たちが着陸したのは、田園地帯にある、旧英国陸軍航空隊の基地でした。上空から見ると、一帯を流れる川を中心に広がる低地には、実りの季節を迎えて黄金色の麦穂をたたえる広大な麦畑が広がる一方で、少し離れた丘の上には、鉄道の駅を中心に小規模な市街地が形成されていました。私はふと、学生時代に下宿した小さな町によく似ていると思いました。
 丘の上に築かれた飛行場に着陸すると、私は風防を開き、英国の空気を胸一杯に吸い込みます。季節は秋でしたが、まだいくらか日差しは強く感じました。
 私の手には、一つの懐中時計がありました。幼い頃、旅行で訪れていたロンドンの街で出会った、ある女性に渡そうとして、果たせなかった懐中時計です。何度か修繕を繰り返して、その時計は当時も現役でした。
 戦時中、私はいつも、地上に置いた小さくて頑丈な金庫の中に、この時計を入れて出撃しました。そうすれば、あの女性に守られて、戻ってこれるような気がしたからです。そして、実際にそうなりました。いつか、この時計を胸に抱いて、再び英国へ行く――その夢は、いつだって私の心の支えでした。
 時計は私の手の中で、十七年ぶりに英国の空気に触れ、英国の陽光を浴びて輝き、そして、十七年前と変わらず、時を刻んでいました。
 違ったのは、十七年前、世界は平和だったのに、この時、日本は勝者、英国は敗者だったことです。

 

 その後の数ヶ月間で、私は戦争が英国に与えた痛みを知り、命の次に大事な懐中時計も奪われ、失意の底に落ちることになります。
 ですが、まずは順番に書いていくことにしましょう。
 本書では冒頭を割いて、私という、一般の人とは違った奇妙な人格が、なぜ、そしてどのように形成されたかを明らかにするため、成人するまでの私の人生を記したいと思います。
 が、その回想録は、私が戦中・戦後に取った、数々の常軌を逸した行動を説明するのに、仕方なく必要とされるものに過ぎません。本当の話は、そこからです。
 私が本当に書きたいのは、戦争の間、私が出会った人々……落ちていった日本兵、不時着した中帝兵、台湾で出会った新国兵や娼婦、スコットランドのハーロック、フランスのジャン、特攻で散華した英国兵、そして、声を上げることもできずに死んでいった、名もなき無数の人々の物語なのです。