というわけで、一年にわたってお送りしてきた小説講座も、今回で最終回となります。
今回は、今までの内容を振り返って、反省会などやってみたいと思っています。
*また、反省にあたって、各回がどういう内容か、良い出来か悪い出来か、といった点について軽く触れているので、これからこの講座を読み始める方が、最初にざっと目を通す、という使い方もできるようになっています。
そもそもあの文体はない
(もしいれば)この講座を最初から読んできた方はもうすでにお気づきでしょうが、今回はこれまでの「である」調から切り替えて「ですます」調で書くことにしました。
というのも、第一回で「である」調にする理由を色々ごちゃごちゃと述べ立てたものの、振り返ってみればやっぱり偉そうで、あまり良くなかったかな、と思うのです。
第七回を書いているあたりで「この文体はやっぱり良くないな……」と気づいたのですが、結局、そのまま続けてしまいました。
ここはわりと明らかな反省ポイントですね。
では、次項からは回ごとの反省点を振り返っていきたいと思います。各回の末尾に小さな反省コーナーを設けてはいますが、全体を書き終えた今だからこそ見えるものもあるかと思いまして。
各回の反省ポイント
他のメディアと比べた時「小説にはどんな有利不利があるのか」を、可能な限り遠慮や配慮を廃して語った回です。ある種の小説好きな方が目にしたら怒りそうな内容も書かれています。
でもやっぱり、個人としての人間が社会の中でしか存在できないように、小説もまた、他のメディアとの関係性によって語られることは避けられないし、避けてはいけないと思ったんですよね。
また、後に詳述しようと思いますが、一年間続いてきたこの小説講座のコンセプトは「(多少内容が突飛であっても)誰も見たことがないような小説講座を書く」ことでした。
第一回にこの内容を持ってきたのは、このコンセプトをはっきりさせる意図もありました。「小説が書けるようになりたい」と思って集まってきた人たちに「小説のことを考える前に、まずは小説以外のメディアのことを考えられるようになろうね」と語るのは、それほど的外れでもないと思った一方、似たようなことを言っている人があまり見受けられないと思えたからです。
というわけで、この回は、内容は多少筆が滑ったようなところもありましたが、コンセプトとしては良かったのではないか、と、自分では考えています。
「小説を書く上で目指すべきもの」は、自明のこととされている感があります。人気のため、とか、個人の楽しみのため、とかいう風に、一言で語れるものだと、世間では考えられているのではないでしょうか。
が、私には「そうでもないんじゃないかな?」と思えたので、思考して整理し、一言ではなく長文で語ってみた、という回です。
「何事もまずは取りかかる前に目的(ゴール)をはっきりさせることが大事」とは、どの業界でもよく言われます。私は小説の世界でもこれが当てはまると考え、第二回にこの内容を持ってきたわけです。これもまた、コンセプトとしては良かったと思っています。
しかし、この講座全般に渡って言えることですが、全体的に文章が荒く、読みにくいですね。このあたりは全体に渡る反省点と言えそうです。
実際のところこれは「読後感という言葉があるなら、読前感とか読中感とかいう言葉があってもいいんじゃないか」という、単なる私の思いつきから生まれた文章です。
結論から言うと、この回が成功しているかどうかは、我ながら非常に微妙なところだと今では思っています。
この記事の核心的なポイントは「読前感」「読中感」という概念の導入が、果たして有用なものと言えるかどうか、にかかっているわけですが……ちょっと「微妙」としか言えない感じを受けます。
「読前感とか読中感とかいう言葉があったら、それはどんなものだろうか」という、自分の中の長年の疑問に答えを出す良い機会になったとは思いますが、結果としてその過程で読者に有用な何かを提供できたかと言えば、繰り返しになりますが「微妙」という感じで、反省点の多い回だったなと思えます。
「原則」と言いながら、非常に曖昧な内容の回になってしまったな、というのが第一の反省ポイントです。一読すると、例外が一杯あるように思えてしまうので。
ただ、今でも作劇において「一貫性」が大事だという考えは持っています。ただ、それだけのことを講座一回分を満たすぐらいに膨らませることができなかったというか、そもそも最初から無理な試みだったというか。
しかし「テーマ」「登場人物」「ストーリー」「世界設定」これらの一見バラバラに見える小説の要素全てに「一貫性」が共通して要求されるのだという視点は、それなりに有用だったかなと思います。
なんというか、非常に「スピリチュアル」な回だな、という印象です。スピリチュアルというのはつまり、精神的な、とか、精神世界の話、というか。
自分の中ではしっくりくるんだけど、他人からすれば「なんじゃこりゃ。わけわからん」となりそうな回ですね。
しかし、これ以上のことは今の自分では書けないので、うーん、書くべきではなかったのか、それとも書いて良かったのか、難しいところです。
ここで示した「キャラクター三類型」は、実を言うと、自分では気に入っています。自画自賛というやつですが、我ながらなかなか良い着想をしているのではないか、なんてことまで思っちゃったりしています。
ただ、自分では最近「人間型」と「ロボット型」の登場人物しか書いていないので「超人型」の存在を忘れそうになるのが、我ながら情けないなと。
どうしてなのか理由は上手く説明できないのですが、どうも超人型キャラクターは、長編、それも大長編の小説でなければ十分に描けないような気が、最近はしています。
と、そんなこんなはありますが、他の「書いてみたら微妙だった」みたいなアイデアと比べると、この三類型のアイデアは、自分では気に入っているのは確かです。
プロットに関しては、私自身が研究途上なこともあって、今ひとつ詰め切れなかったというのがまず第一の反省点です。
ただ「プロットは細かすぎても粗すぎてもダメ」という、私の基本的な考え方は提示できたので、その点はとりあえず良しとするかな、という感じでしょうか。
長編小説を書いた経験が少ない人にとって最も怖いのが「破綻」なので、それについて取り上げた回です。
私も書き始めの頃は「破綻」にはずいぶん苦労させられたので、着眼点は自分でも良かったと思うのですが、内容は……うーん、どうだろう?
「ストーリー」「キャラクター」「世界観」の三つの項目に分けて説明しているのですが、全部「複雑すぎても単純すぎてもいけない」で終わっているのは、大きな反省ポイントだな、と。
これは第四回の「作劇上の一貫性原則」と並んで「複雑性中庸の原則」とでも銘打ち、作劇する上で守るべき原則として一般化すべきだったか、とさえ思えてきます。
例によって自画自賛になりますが、非常に良い回だったと自己評価しています。
まず、(このシリーズでは稀少なことに)内容が具体的で、すぐにでも実践できる。まあこれは「推敲」というピンポイントかつテクニカルなテーマ設定に助けられた部分が大きいのですが。
内容もまた、過不足なくまとめられた感じで、いや、我ながらなかなか良いな、と思っています。例によって文章が荒っぽいのは否めないものの、比較的、自信を持っておすすめできる回です。
……何というか、そう「博物館の展示コーナーを抜けた後の物販コーナー」みたいな回です(汗)。
メルマガ版だとまだいいのですが、ブログの方だとアフィリエイトもちゃっかり貼り付けちゃったりしているので「お前がここまで長々と小説講座を続けて来たのは、物を売りつけるためだったのか!」と怒られたりしたら「い、いや……」と、気まずい顔で目を逸らさなければならないような回です……。
いや、言わせて頂きたいのですが、最初はそういうつもりじゃなかったんです。純粋に読者の役に立ちたいという気持ちだったんです。ただ、書き終えてみたら「あれ? これって物販じゃね?」みたいな記事になってしまって、自分でもそれが否定できなくなってしまった、的な……
重ねて言いますが、物販目当てじゃないのです(滝汗)! 内容だって、読者の役に立つようなものになっているはずです(冷汗)!
全体を通してみて
ではここらで、全体を通してこの講座を振り返ってみたいと思います。
まず、この講座を始めるにあたっての(私にとっての)出発点であった「書くからには、誰も見たことのない小説講座を書く」は、それなりに達成できたのではないかと思っています。
一方で、全体的に精密さを欠いた、荒っぽい内容になってしまったかな、というのが、非常に心残りな点です。月刊連載という形ではなく、もっと余裕をもったスケジュールでやるべきだったのかもしれませんが、不定期連載だったらたぶんいつまでも完結しなかったろうな、とも思うので、我ながらこのあたりは自分が情けなくなる次第です。
ご読了、ありがとうございました!
さて、ここまで続いてきた小説講座も、いよいよ終幕です。
実を言えばこの小説講座、当サイト全体の中でもかなり人気がない部類に入るコンテンツなので、全部読んでいる人はほとんどいないと思います(汗)。
でも、もしあなたがその希有な中の一人なら、どうも、本当にありがとうございました!
この講座はひとまずこれで終わりですが、いずれまた会う機会があれば、その時はなんというか、どうぞよろしくお願いします。
では、いつか、また。