キャラクター類型その3 … 超人型

超人型キャラクターは、その名の通り、常人離れした「強さ」を持ち、等身大の人間として描かれる「人間型」と違って「克服すべき弱さ」を持たないという、とにかく傑出して強いキャラクターだ。

 

分かりやすく例を出すと「ワンピース」のルフィや「ドラゴンボール」の孫悟空などが超人型に該当すると思う。

 

超人型は、まず第一に優秀な人間として描かれる。戦闘がメインの話なら圧倒的な戦闘力を誇るし、権謀術数が描かれる話なら研ぎ澄まされた知性を見せつけてくる。

 

その「強さ」でもって読者から「憧れ」を誘い、それによって感情移入を促すのが、超人型の第一の役割である。

 

ただし、単に強さを持っているだけでは超人型とは言えない。先にも少し触れたが、超人型と人間型の違いは、超人型は時として「弱点」を持つが、それが「克服すべきもの」として描かれることがない、ということである。

 

たとえば「ワンピース」のルフィは、悪魔の実を食べて能力を得た代償として海で泳げなくなり、海楼石という特殊な鉱物が弱点となっているが「じゃあそれを何とかして克服しよう」という話には(たぶん)ならない。

 

つまり、超人型にとってあくまでそれは「弱点」であって、人間型にとっての「弱さ」と違い、それがストーリー展開上の主題に上ることはない(戦闘の結果を左右したりはするが、やはり主題にはならない)。ここは人間型との大きな違いである。

 

では、超人型とロボット型の違いは何か。それは、パーツの集合でしかないロボット型があくまで「レッテルを逸脱しない」のに対し、超人型は時として「非常識で予測がつかない行動をする」ことである。

 

能力的に優秀だというだけでは、超人型として十分ではない。性格や価値判断の点でも、同じぐらい常人離れしたところを見せつけ、読者を驚かさなければ、魅力的な超人型キャラクターとは言えない。

 

ところで、既に作例を上げたように、超人型は人間型と同じく物語の主要登場人物となる。だが、特に超人型キャラクターが主人公になった場合、彼または彼女は克服すべき弱さを持たないために、作中で変化することがほとんどない。

 

このため、人間型主人公の物語では主人公自身の変化が主題だったのに対し、超人型が主人公の物語では、基本的に主人公を取り巻く「世界」の変化が主題となる。主人公が、その圧倒的な力と不屈の意志を以て、問題を抱えた(弱さを持った)世界を変えていく、というストーリーだ(世界の危機を救う、という描かれ方をすることもある)。

 

さて、次項へ行く前に、注意点を一つ。ロボット型の項でも触れたし、後でも少し触れるが、超人型のキャラクターも、最初から最後までずっと超人型のままでいるとは限らない。

 

さっきから引き合いに出しているルフィの例で言うと、彼もある時、屈辱的な敗北を喫したのをきっかけに、冒険を一時中断して、二年間を修行に費やしている。また、この時ほど話の流れに大きな影響を与えてはいないものの、なんだかんだ言ってルフィも何度か強敵との対戦に敗北している。

 

ルフィが敗北するたびに、超人型としてのルフィのあり方は一時崩れるわけだが、そのたびに読者は衝撃を受けると同時に「あのルフィでも挫折することがあるんだ」と知って共感する。そして、パワーアップして帰ってきたルフィと仲間たちの姿を目にして、大いに盛り上がる(はずだ)。

 

このように、話を盛り上げるために超人型としての造形を一時崩すのはよく使われるパターンで、言うまでもないこととは思うが、私の主張は決してこういった技法を否定するものではない。キャラクターの類型を維持することにこだわって、ストーリーをつまらなくしては本末転倒だ。何度でも言うが、キャラクターの類型は、長く話を続けていれば、自然と揺れ動くものなのである。

 

さらに、これは他の類型にも言えることだが、超人型は善人だけでなく悪人にもなり得る。主人公サイドの超人は頼もしい味方や賢い助言者として(時には主人公当人として)描かれるが、敵サイドの超人は、とても倒せそうにないような、強力な敵として立ちはだかる。また、こうした「悪い超人」は、なぜ悪いことをするのかという動機の点で、論理という点では理解はできるものの常人にはおよそ共感できないといったような、それこそ俗世を超越したような動機を持っていたりする。

 


 
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