purpose_of_writingというわけで、小説講座第二回は「小説を書く上で目指すべきものは何か?」と題してお送りする。

 

前回「メディアとしての小説の特性」から引き続き、そんなことから考え始めるのかという内容だが、登るべき山があやふやなままでは、登頂を果たすことなど夢のまた夢なのだ。

 

まあ、そこまで深刻な話ではなくても、一度整理しておくのも一興だと思う。この連載は、おおむねそういうノリである。

 

そもそも何のために小説を書くのか?

「そもそも何のために小説を書くのか?」。まずはこれをはっきりさせないと話にならない……まあ、多少はあやふやなままでもえいやっと書き始めてしまった方がいい場合も多いが、それでもある程度は明確な方向性を持っておきたい。

 

何のために小説を書くのか? いきなりだが、これは実を言えば、書く人の自由である。小説家としてデビューするのが目的でもいいし、同人誌を作るためでもいいし、はたまた書くという行為そのものを楽しんでもいいし、自分の思想信条のプロパガンダのためであってもいいと私は思う。全ての理由が、自由の名の下に平等である。

 

ただし……様々ある理由が全て平等である中で、一つだけ、明確な分水嶺がここにはある。

 

それは、書き上げた小説を、誰かに読んでもらうことを望んでいるのか否か、である。

 

「読者」の存在

もし、書き上げた小説を誰にも読ませる気がないというのなら、あなたは完全に自由にあなたの小説を書くことができる。まあ、その場合でも、書き上げた物を自分自身はどう評価するのかという問題が残るのだが、この話は後でちょっと掘り下げたい。

 

実際は、書き上げた小説を誰かに読んで欲しいというのが、一般的であるし、問題になるのはこちらである。

 

もしあなたが読者の存在を望むなら、あなたには読む側のことを考える義務が生じる。あなたがプロデビューを望んでいようが、同人誌制作がゴールであろうが、プロパガンダが目的であろうが、理由はどうであれ、読むのが苦痛でしかないものを誰かに読ませるのは、人としてどうかと思う。

 

まあ、精一杯やってそれなら仕方ない面もあるのだが、それでも少なくとも「精一杯」読む側のことを考えて書く努力をすべきだろう。

 

では「読む側のことを考えて書く」とは、どういうことだろうか。

 

これは一般には、小説を読み終えた読者が、感動したり、考えさせられたり、面白がったり……そういう小説を目指すことだと思われる。

 

書き手によって「読者を感動させたい」「考えさせたい」「楽しませたい」というのは別れると思うが、ここではこういったことを全部ひっくるめて、書き手には「読者が、読んで良かったと思える小説を書く」ことが求められる、とする。

 

さらに、読み終えた後のことだけでなく、読者が読んでいる間や、読み始める前のことも考える必要があるだろう。たとえ、最後まで読み終えれば多くの人にその良さが伝わるような小説でも、読み始める気が起きない(ので無理矢理読まされる)とか、読んでいる間は苦痛という有様では、読者のことを考えているとは言い切れない(過去の文学作品にはそんな感じのものが多いのだが、でもやっぱり、私は読んでいる間の読者のことも考えるべきだと思う)。

 

タイトルやあらすじを聞いただけで「読みたい」と思わせられればそれ以上のことはないし、読んでいる間も「早く続きが読みたい」と思わせられれば読者は幸せであるはずだ。これをまとめて言うと「読者が、読みたいと思える小説を書く」ということになると思う。

 

整理してみよう。

 

・読者の存在を前提とする限りにおいては、著者には、その能力の及ぶ限りにおいて、読者のことを考えて書く努力をする義務が生じる

 

・読者のことを考えて書くとは、具体的には

「読者が、読みたいと思える小説を書く」

「読者が、読んで良かったと思える小説を書く」

 

の二つがポイントになる

 

これによって、少しだけ、登るべき山の輪郭が見えてきた。小説を書く理由が何であれ、読者の存在を望む以上は、書き手は「読者のことを考える」ことから逃れられないのだ。