novel_as_media

そういうわけで、本日から毎月一回、小説講座なるものを連載することにした。

 

初回は、まず最初にこの講座のスタンスを確認した後「メディアとしての小説の特性を考える」というテーマでやらせていただこうと思っている。

 

 

(本題の前に)この講座のスタンス

まず、この格式張った文体について。

 

私は、ブログやメルマガの他のコーナーでは、基本的にもっと柔らかい「ですます調」の文体で書いている。だが、この講座ではご覧のようないかにも偉そうな文体で統一させてもらいたい。

 

なぜかというと、小説講座というのはそもそもその出自からして偉そうだからだ。もちろん、同じような小説講座をですます調の文体で書いている人は大勢いる。が、これは次節にも関わることなのだが、私はですます調にするとあたかも客観的に見えるのが、こと今回の講座では難点になると考えている。

 

ブログやメルマガの他のコーナーでは、私は(少なくとも私なりに)客観性に注意を払っているし、一定の責任も感じている。

 

だが、客観的な小説講座は極めて難しい。とりわけ、プロならぬ身ではそうだ。また、この小説講座を参考にした人が面白い小説を書くのに失敗してしまったとしても、責任は負えない。

 

つまり、この小説講座は主観的である。ここに書いてあることが全てだなどとは、頼むから思わないで欲しい。万が一、あなたが、(あり得ないとは思うが)ここに書いてある文章が全て正しいなどと主張する人物と出くわしたら、あなたが今読んでいるこの一節を、そのまま反論として使ってもらって構わない、というぐらいだ。

 

で、文体の話に戻るのだが、そんな主観的な講座を書くにあたって、これが主観的であることを強調するには、ですます調ではなく偉そうな「である調」を使ったほうがいいのではないか、と感じた。偉そうな内容をへりくだって書くのは偽善的ではないか、というある種の潔癖性の表れでもある。

 

それから、ここでいう小説にはライトノベルを含めるものとする。この講座は細かいことをくよくよと考えるのを売りにしたいとは思っているが、いわゆる「ライトノベルとは何か」論争に紙面を割くつもりはない。また別の機会に詳しく論じたいと思うが、小説だろうがライトノベルだろうが、読者が「読みたい」「読んでよかった」と思えれば、なんだっていいと思うからだ。

 

メディアとしての小説の特性

というわけで、第一回の小説講座のテーマがこれ「メディアとしての小説の特性」を考えることである。

 

「そもそもそこから!?」という向きもあるかもしれないが、そういう細々したことを気にしながら書いていくのをこの講座の売りにしたいと思っている。

 

で、今回は、他のメディアと比較して、小説はどのような特性を持っているのかを考えていく。

 

産業としての小説が直接の競争相手としているのは、以下のようなメディアであると考えられる。

 

・漫画

・映像(アニメなどの映像作品全般)

・音楽(ドラマCD等を含む)

・ゲーム(主に美少女ゲーム・アドベンチャーゲーム、あるいはそういったストーリー要素が強いジャンルを想定)

 

以下では、様々な評価軸を設定して、これらのメディアと小説を比較していき、その中での小説の特性、ひいては、メディアが多様化する現代における小説の立ち位置を、私なりに明らかにしていきたい。

 

評価軸その1:コスト…小説はコストが安い

一番先に挙げるのがそれかよ、と我ながら思うが、まあ正直、あまり認めたくはないものの、小説を産業として考える(芸術としての側面を考えない)ならば「コスト」(ここでいうコストは制作にかかるコスト。読むコストは別)という評価軸が最も重要であると私は考える。

 

「小説は誰でも書ける」……何てことはもちろん言わない(言うんだったらそもそもこの講座をやる意味がない)が、他のメディアと比べると、参入までの敷居が低いのは確かだと思う。読み書きができれば誰でも小説を書き始めることができるし、最近ではスマホ(ガラケー?)で書いた小説がヒットしましたみたいな人もいるみたいだし……

 

もちろん、ただ小説を書くことと、多くの人が読んでくれる小説を書くことは全くの別物であり、そこには大きな溝がある……だが、それは他のメディアでも同じなのだ。

 

そう考えてみると、小説はやっぱりコストが安い。小説は、駄作だろうが傑作だろうが一人でも書ける(というより、一人で書くのが普通だ)が、ゲームや映像作品を一人で作り、しかもそれを傑作として完成させるのは、不可能ではないが、やはり作品内容には色々と制約がかかってくる。きちんとしたゲームや映像を作るには一定数の人手が必要で、つまりお金がかかるのだ。漫画についても、現在メインストリームと考えられている週刊連載を続けていくには、常時アシスタントを雇わなければない。

 

機材の問題もある。音楽、ゲーム、映像作品、漫画は、作品を制作するのに高性能パソコンやらソフトウェアやら画材やらへの投資が不可欠だ(無料ツールも増えてきてはいるが、主流ではない)。小説ならその点、普段使っているパソコンに入っている標準のワープロソフトでもいいし、安い原稿用紙でもいいし、中には先述したように、スマホ(ガラケー?)という例もある。

 

ここから一歩踏み込んだ話になるが、小説が他のメディアに比べて低コストであるという事実は、小説の内容にまで影響を及ぼすこともありうる(と思う)。

 

たとえば、低コストであるということは、ビジネス的には低リスクであるということだから、他のメディアよりも小説の方が挑戦的な作風を打ち出しやすいかもしれない。

 

極端な話、無名の新人に挑戦的な作風の作品を作らせるのは、一話制作するのに札束の小山が動くような資金を要する、アニメ業界では難しいだろう。しかし、小説ならどうだろうか? 作家一人が自分の生活費さえ工面できれば、書くのは自由だし、出版の際に出版社が取るリスクも、アニメと比べれば小さい。

 

ヒットした小説がアニメやドラマになるという、現在では見慣れた光景も、リスクという側面から見ると理にかなっているのだとわかる。アニメやドラマといった映像メディアは構造的にリスクが高いから、すでにヒットしている小説を原作にすることでリスクを抑えるわけだ。

 

そう考えると、いきなり映像にはできないような、挑戦的な作風を実現するには、小説というメディアが適しているのかもしれない……というのは、さすがに言い過ぎだが、まあ小説というメディアのコストの低さに注目すると、そういう主張も成り立ちうる、というのは、覚えておいても損ではないと思う。

 

もう一つ、低コストがもたらす影響の例を挙げてみたい。

 

今ここに800万円あったとしよう。この800万円を、小説家、漫画家、ゲームクリエイター、アニメクリエイターの四人に、200万円ずつ等分して渡し、それぞれ作品の制作を依頼する。ただし、作品の制作に必要な機材等もこの200万円で購入するものとし、前から持っている機材は使えない。また、無償ボランティアの手は借りず、人の手を借りて作品を制作したい場合は、必ず相場どおりの報酬を渡さなければならない、などとしよう。するとどういうことが起こるだろう?

 

アニメクリエイターは、アニメが作れたとしても、画風が簡単で時間もごく短い、ちょっとしたショートフィルムのようなものでしかないだろう。

 

ゲームクリエイターは、アイデア次第の世界なのでアニメよりはずいぶんマシだろうが、大作が作れるとも思えない。

 

漫画家は、頑張れば単行本一冊分ぐらいの、ちゃんとした漫画は描けるかもしれない。

 

では、小説家はどうだろうか? ……私が思うに、小説は上記したメディアとは事情が大きく違う。200万円といえば、だいたい大人一人が一年間暮らしていく上での、最低限の生活費にあたる。そして、一年あれば、速筆なライトノベル作家だったら、単行本を四冊ぐらい書いてきたりする。

 

回りくどい言い方になってしまったが、私は何が言いたかったかというと「低コスト=単位コストあたりの分量が多い」ということだ。

 

小説は低コストだ。低コストだから、長い話を書きやすい。自分は長い長い大作が書きたいんだ(あるいは「読みたいんだ」でもいい)という人には、小説というメディアが適しているといえよう。これもまた、小説が低コストであるという事実の影響が表れたものだ。

 

小説が低コストであるという事実から派生する要素は、私が気づいていないだけで、他にも色々あるだろう。考えてみるのも面白いかもしれない。