ニューヨーク市立図書館とある都会の紀伊國屋の店頭で「世界の学生が読んでいる本!」というキャッチフレーズでキャンペーンをやっていた、そのものずばり「世界史」というタイトルのその本は、私の興味を惹きました。そして私は……レジにはいかずに、図書館に走りました。

いや、だって昔からある有名な本らしかったし……だったら図書館で借りればいいな、と。

 

 

話が逸れますが、図書館は素晴らしいですよ。私も十代の頃は毎週のように通っていました。無料で利用できるテーマパークですよねえ。世間の人の一部には、図書館を利用することに抵抗感がある人もいるみたいですが、人生損していると思いますよ。がんがん通うべきです。

 

名著(であるらしい)「世界史」とは?

さて、そこで借りてきたこの「世界史」という、古めかしい本。長年にわたって読まれているからには良書に違いないと期待して読み進めると、これがまた期待通り。


世界史の教科書みたいな、時系列順に重要単語を並べていくようなくだらない内容ではありません。そもそも、世界史と銘打っているのに地名人名に対するこだわりがほとんど感じられません(もちろん、良い意味で)。


代わりに著者のこだわりが感じられるのは、世界史上の重要な出来事が何によって生じどのような結果をもたらしたかという、史学的因果関係です。この点を重視して歴史を見ていく流れになっているので、重要単語を並べるだけの教科書的な内容と比べると「なぜだろう」「え? なんでそうなるの?」と疑問を感じて学習がストップしてしまうことがなくなっています。「ここでこういう理由でこうなったから、この後こうなるんだよ」という流れが、分かりやすく書いてあります。

 

チンギス・ハン本書の特徴は、それだけではありません。本書の歴史著述の構成にはパターンがありまして、それは「ある文明世界に蛮族が侵入ないし他文明が侵入する」→「蛮族が文明に同化させられるか、異なる文明の特徴が混ざり合う」→以下ループ というものです。



これはおそらく、著者の歴史観を表しているのだと思います。その歴史観とは、一つは、一時的に軍事力の前に屈服することがあっても、多くの場合、優れた文化は(変質はあっても)力強く生き残っていく、時として侵略者が被侵略者の文化に完全に染まってしまうことさえ珍しくない、という、暴力より文化の力を重視する視点。

もう一つは、日本人としては少々気に入りませんが、紆余曲折の末に西欧文明が支配することとなった現代世界において、その西欧文明のたどってきた「紆余曲折」の部分を後の西欧支配と結びつけて論じることによって、西欧文明の優勢は歴史的に整えられてきた小さくない規模の基盤によるものであり、決して偶然の産物ではない、ということを強調する視点。特に、西欧と比較した時のイスラム世界の後進性については、著者は手厳しく指摘しています。

 

Wikipediaによれば、著者の研究テーマは「西欧の台頭」だそうで(2012/10/05閲覧)、本書の特に後半部分の多くが西欧の台頭との関係性で論じられている点は少々鼻につくかもしれませんが、まあこの本が書かれた当時(60年代)の西欧の優勢は半端ではなかったですから、この点は仕方がないと言えるかもしれませんね。

 

しかし、そうは言っても世界史全体を俯瞰する視点を持つ上で、本書は上質な情報源となってくれます。

学生さんにもお勧めしたい良書です。

 

 

*2013/02/01 注釈

 

同じ著者が、戦争に用いられる技術の発達と社会との関係を主題に書いた「戦争の世界史-技術と軍隊と社会-」という本を読んで、私のこの著者に対する見解は少々修正を余儀なくされました。

 

というのも、著者はこの「戦争の世界史」で私が「世界史」を読んで感じた文化優位の世界観よりはずっと、暴力に重きを置いているということが分かったからです。いえ、別に非難しているわけではなく、それこそ「西欧の台頭」を専門とする歴史学者からすれば、それが当然なのでしょう。

 

いずれにせよ、この著者に対してなにがしかの評価を下すのであれば「世界史」の後に書かれた「戦争の世界史」も合わせて読むのが望ましいかな、とは思いました。

 

しかし、インターネットのイの字もない時代に書かれたとはいえ「そう遠くない将来、地球は世界連邦政府の管理下に置かれ、そこではこの千年を支配してきた技術の発達とそれに伴う争乱は完璧に管理され、人々は毎日毎日同じ日々を繰り返し送ることになるだろう。しかし、実はそれは人間社会の常態なのである」などと書いてしまうあたりは、歴史家が未来を予測することが容易ではないことを思い起こさせますね……まあ、結果はまだ分かりませんけれども。「戦争の世界史」内での議論を踏まえた上で読めば、意外と当たっているような気がする点もありますしね。