今回は、カート・ヴォネガット・ジュニアのSF小説「猫のゆりかご」を取り上げたいと思います。
この「猫のゆりかご」。あらすじだけ読むとちんぷんかんぷん、どんな小説なのか分からない小説です。早川書房から出てる文庫本の裏表紙にはこうあります。
「(前略)『世界が終末をむかえた日』の執筆準備にとりかかったのは、キリスト教徒だったころのこと。いま、わたしはプエルト・リコ沖のサン・ロレンゾ島にいて、禁断のボコノン教を奉じている。ボコノン教に入信したそもそものきっかけこそ、ほかならぬ未完の大作『世界が終末をむかえた日』なのだった……(後略)」基本的にはこれだけです。
どうですか。読む気になりましたか。私はなりませんでした(汗)。
編集者が何を思ってこのようなあらすじを書いたのかは不明です。私も実際、名作SFだという評判や、知人の薦めがなかったら、一生読まなかったかもしれません。
ですが、読んでみてびっくり。これは面白い、と。
是非おすすめせねばと思った次第なので、ここをお読みの皆さんには、もうちょっと内容に沿ったあらすじをお届けしようかと思います。
どこへ向かっているの
ドラクエの勇者みたいに没個性的な存在として描かれる、主人公のジャーナリストは、日本に原爆が投下された日に関係者が何をしていたのかをまとめた本を出そうと活動していました。その過程で、原爆開発を主導した(架空の)研究者で故人の「フィーリクス・ハニカー」のことを調べ始め、彼の長女や、二人の息子のうち所在が分かっていた弟の方と接触を持ちます。やがて、死んだと思われていたフィーリクスの長男が、サン・ロレンゾ島の独裁者の側近となっていることがわかり、主人公達は島へと向かいますが……というお話です。
なんて書くと、サスペンスみたいなもんかなと思われてしまうでしょうが、実際にはこの作品は(コミカルにではなく、悲しい意味で)個性的な登場人物たちの人間模様を中心に据え、その周囲に平和・宗教・科学・政治などのテーマを配した良作です。軽妙な調子で語られるので重厚さはあまりなく入り込みやすいにも関わらず、胸に染み通ってくるものがあります。
ただまあ、私は読み手として普通ではないのかもしれません。訳者あとがきにはこうあります。「笑いころげながら読み進むうち、読者はこれが、どうしようもなく人間的な人たちの悲しい物語であることに気づくはずだ」と。訳者の先生(素晴らしい訳だと思います)には申し訳ないですが、私は序盤から「どうしようもなく人間的な人たちの悲しい物語」と受け止めていたので、はっきり言って笑えませんでした。
まあ、これはたぶんあれですね。「アタックナンバーワン」が笑える人と泣ける人の違いってやつなんでしょう。
何がいいたいかというと、そういうタイプの人には笑いながら読めるということで、そういう意味でも良作だということです。もちろん、私のように悲しみながら読む読み方もありだと思います。それでも十分面白かったですし。
この作品の魅力
さて、この作品の何が私の胸に染み通ってきたのか。多くの名作がそうであるように、一言では言い表せません。
一つには、登場人物達のほとんどが小賢しい小人物でありながら、あまりにも人間的であること。多くの登場人物が登場し、そのたびに人間性の異なった面を見せてくれること。
心に残っている場面をあげるなら、研究所の秘書が実験施設を見て卑屈に言った「まるで魔法だわ」、それを聞いた所長が必死で科学とは何かを説明する空虚さ、科学面で非凡な才能を持つフィーリクスやその才能を受け継いだ長男が人間として大事な何かを持っていない様、フィーリクスの次男が複雑な劣等感を抱えながらそれと折り合いをつけて生きている様、あまりにも愚かな、しかしどこか示唆的なサン・ロレンゾ島の統治の有様、アメリカ人の実業家夫妻の「アメリカ人らしさ」、そして何より、終盤のアメリカ大使が行う、「アメリカらしくない」演説。
名作です。