Hammer_and_Sickle_Red_Star_with_Glow戦後の社会主義運動や、戦前からのソ連のイメージから、共産主義が「反資本主義」であることは、自明であるような印象があります。

 

しかし、共産主義の大本をたどると、実はそれは誤った見方なのかもしれない、という話を、今日は書きたいと思います。

 

life_thumbnail死。それは、ヒトのみならず、全ての生きとし生けるものの宿命……とされています。

 

しかし、それはなぜでしょうか? なぜ、あるいは何のために、人は死ななければならないのでしょうか? 今回は、そんなことについて、私なりに考えてみました。

 

(なお、本稿において考える「死」とは、病死や事故死ではなく、人はみな老いて死ぬという「老死」についてです)

PAK12_ookinakinoshitade1224500突然ですが、皆さん「相手の中に自分を見る」という経験をしたことはありますか?

……なんて抽象的な表現では、伝わるはずもありませんね。

 

もうちょっと分かりやすく「言葉を持たない虫や動物、樹木などが、自分に何かを言っているような気がする」という体験をしたことはありませんか、というところから、書き始めてみましょうか。

 

Soviet_Union,_Lenin_(55)唐突ですが、私は左翼です。

 

左翼に向けられる批判の一つに「なんで『セット売り』なんだ?」というのがあります。たとえば「左翼の主張の中でも、労働者の待遇改善は良いと思う。でも、行き過ぎた平和主義には賛成しづらいので、私は左翼になりたくない」などといったものです。中には逆に「平和主義は良いと思うが、いたずらに弱者を救済するのは良くない」という人もいるでしょう。

 

別に「あなたの言っていることは間違いだからあなたも左翼になりなさい」とまで言う気はないのですが、一応、左翼の端くれとして、「いや、それは〜だからなんだよ」と反論したくなる時もあります……まあ、私もまだまだ勉強中なので、ごく大雑把にしか言えないのですが、そこはご堪忍。

 

で、一言で言うと、全ての「セット売り」の理由は「理論的一貫性を保つため」というところに帰着します。先ほどの例で言うと「弱者救済の一方で平和主義を放棄すると(あるいは逆でも)、論理的矛盾が発生するのでNG」というわけです。

 

別に、全ての人が生活のあらゆる面において理論的一貫性を追求すべきだ、などとは、私も思いません。が、左翼とはそういう人種なのです(この点では、右翼も同じ(ハズ)だと思います)。

 

そこで今回は「なぜ弱者救済と平和主義は『セット』でなくてはならないのか」をテーマに書きたいと思います。

statistic_is_the_best最近、立て続けに統計学の本を読んで、十代の時には分からなかった「帰納と演繹」について、深く考える機会があったので、その内容をまとめてみようかと思います。