wii_controllwer何かあるとすぐ「ゲームは教育に悪い」と言い出す中高年は、どこの国にもいるそうです。
が、ここであえて私は「ゲームを教育に有効利用してはどうか」という話をぶち上げたいと思います。

 

 

 

私のTwitterでの発言を眺めているとわかると思いますが、私はけっこうなゲーマーです。それも、英語版のみで日本語版が存在しないような、海外のマニアックなゲームを好んでやります。

 

はい。まずここで出てきましたね。そう、私はあまり英語ができる方ではありませんが、とはいえ私の乏しい英語力は、英語のゲームをプレイすることによって得られたものです。ゲームを遊ぶために漢字を勉強する子供はけっこういますよね。それと同じです。

 

日本と海外のゲーム業界の現状

famicon_controllerさて、日本で「ゲーム」というと「ドラクエ」とか「FF」のようなRPGや「マリオ」のような簡単なアクションゲームを考える人が多いかと思います。が、厳しいことを言いますが、私が思うに、日本のゲーム業界はガラパゴス化しつつあります。


 

いや、携帯電話に比べれば、確かに日本のゲームは海外でもずっと売れてはいるんで「ガラケー」ならぬ「ガラゲー」だなんて言うつもりは毛頭ないんですけれど……実は一般ではあまり知られていませんが、海外では主に欧米の会社が制作した大人向けゲームが、シリーズの新作が出る度に一千万本近く売れたりするなど、ゲーム業界の様相が日本とは全く異なっています。

 

最近、知り合いに聞いたら、日本人に「最近やったゲームは?」と聞くと、たいていは「どうぶつの森」「マリオカート」などと答えるそうですね……しかし、海外で大流行しているのは、主にプレイヤーがリアルなグラフィックスで敵と銃で撃ち合う戦争ゲームだったりします……だから全米ライフル協会が「銃犯罪はゲームが悪い」とか言い出すんですが、まあ、ゲーム業界の現状についての話はこんなところにしておきましょう。

 

ゲームで学べることもある

日本では「ゲームは社会人になったら卒業」という空気を強く感じますが、欧米ではいい大人が「趣味はゲームです」と言うことに(少なくとも日本ほどには)抵抗がないせいかか、あるいはただ単に労働者にちゃんと余暇の時間が認められているせいか、大人向けのゲームが日本に比べてよく売れます。私はこの「欧米発の大人向けゲーム」に注目しています。

 

civilizationVたとえば、ターン制戦略ゲームの「シヴィライゼーション」シリーズでは、プレイヤーは文明の指導者になって太古から現代・近未来まで、文明の栄枯盛衰を担い、自身の文明を世界一に導くことを目指します。


 

このゲームをプレイすることでいろいろ学ぶものはありますが、たとえば「物事の全体を見通せるだけの知識を持ち、それを目の前の状況に適切に当てはめて、いかに物事の状態を最適化させるか」という、分析的・計画的な思考を養うのに適していると思います。

 

また、銃で撃ち合うゲームにも色々あります。確かに、ただ単にハリウッド的なエンターテイメント性を追求した作品が、数多く売れる傾向にあります。しかし、リアルな戦争の現実を描写して、娯楽性が最優先されながらも、一方で戦争の悲惨さを伝える作品も存在します。


こうした例では「Call of Duty」シリーズの2のソ連軍編は出色の出来だと思います。プレイヤーが列車から降ろされると、遠くの街で黒煙が上がっているのが見え、砲声も聞こえます。プレイヤーは船に乗せられ、他の大勢の兵士と共に船に乗せられますが、川を渡る途中、ドイツ軍の爆撃で隣の船は爆発・炎上。それを見て怖じ気づき、河に飛び込んで逃げようとした兵士は、監視役の兵に射殺され……こうした描写のほとんどは、実はとある映画の精巧なオマージュなのですが、プレイヤーは動こうとしてキーを押してもほとんど身体の自由が利かない一方で、首だけは回るのでそれで見たい方を見れる、という状態に置かれるために、臨場感は映画の比ではありませんでした。私も様々な反戦教育を受けてきましたが、戦争の悲惨さを本気で感じたのは、あの時が初めてです。

 

Call of Duty 2 トレイラー

 

(動画はCall of Duty 2 の予告編。グラフィックスは古めかしいですが、それにとどまらない表現力に当時は圧倒されたものでした)

 

もっとも、Call of Duty シリーズも、4以降はハリウッド的なエンターテイメント性重視に舵を切ってしまったようで、ファンとしては残念でなりません(売上は4以降が圧倒的なんですけどね……)。

 


またこれ以外に「Red Orchestra 2」などは、リアリティとエンターテイメント性がほどよく両立している感じです(それでも一般の方からすればリアルすぎでしょうけどw)。この作品では、ライフル弾を胴体に受ければ一発で死にます。また、立ち止まっていると、相手プレイヤーは人間が米粒にしか見えない距離でもライフルを当ててきます。

 

red_orchestra2そのため慎重な行動を要求され、開けた場所は走って移動するのはもちろん、時には二十メートルほどの距離を少しずつ匍匐前進していくなど、他のゲームではまず見られない行動も必要になります。

(左の写真は「Red Orchestra 2」より。よく見ると画面中央にソ連軍の将校がいて、こちらに銃口を向けています)

 

それだけのことをやっても、このゲームはすぐ死ぬゲームで、平均的なプレイヤーが戦場に到着してから死ぬまでに、敵を一人も殺せないことも珍しくはなく、殺せてもせいぜい一人か二人ぐらいです。

ましてやゲームを始めたばかりの頃は殺される一方で、プレイヤーはもし自分が現実の前線に送られたばかりの新兵だったら、命がいくつあっても足りない、と、一度は考えるのではないでしょうか。

 

限界と可能性

もちろん、ゲームで得られる体験は現実とは別物で、それによって何かを学ぶことには自ずと限界があります。ゲームでは死んでもすぐに生き返れますし、部下を死なせても責任は伴いません。楽しむには複雑すぎる概念は、抽象化という形で単純化されます(たとえば、先に挙げたシヴィライゼーションは、国民からの支持率を「幸福度」という数値で表し、十分な資源を確保すれば国内の安定を維持できるようになっています)。


ですが、その限界をしっかりとわきまえた上で、ゲームを「日常ではできない体験をシミュレートし、自分の精神を鍛える」ツールとして使うのであれば、ゲームには……あるいは、ゲーム的な表現手法には、大きな可能性があるのではないでしょうか。教育分野への有効利用はもちろん、もっと大きな未来だって考えられます。

 

academy_awards映画業界で既にあるように、商業的娯楽性に必ずしもこだわらない、表現力に重点を置いてゲームを評価する動きが……ゲームを「芸術」として評価し、制作する動きが、出てきてくれればいいのだが、と、私は常日頃から願ってやみません。

(写真は第一回アカデミー賞の様子)