悩む美女何気ないタイトルに思えるかもしれませんけど、これ、上を目指して小説を書いている人にとっては切実な問題なんですよ。

なかなか上手く小説が書けずにいると、「努力が足りないのかなあ」ってつい思っちゃうもんなんです。っていうか、普通はそうなんです。


 

ネット上の、アマチュア作家が集まるサイトとかを覗いてみると「いい小説を書くにはもちろん才能が必要だけれど、努力しなくていいということではない」「プロの作家はみんな、血のにじむような努力をしている」みたいなことが書かれています(別に私はそれが絶対正しいとも間違っているとも思いません。念のため)。

 

でも、ここで素朴な疑問。いい小説って、努力すれば書けるもんなんですかね?

 

努力ってなんじゃらほい

そもそも、努力とは何か。私が辞書よりも(部分的には)好きなWikipediaによると、努力とは「目標を実現するために、心や身体を使ってつとめること」だそうです(2012/11/12閲覧)。


なんじゃこりゃ。曖昧すぎるじゃないか……というか、小説を書くために「心や体を使ってつとめる」のは当たり前じゃないのか。むしろ、ほとんど全ての事柄がそうじゃないのか。

 

ではよく言われている「努力している」と「努力していない」の境目とはなんなのか。


私、ここまで書いてふと思ったんですけど、これって宗教じゃないですかね? もっといえば、仏教なのでは?
仏教(より正確には、その前身になったインドの信仰)には、苦行を積むものが救われるという思想がありますよね。ひょっとして、日本人が言う「努力」って「苦行」なんじゃないか、と思うと、すっきりするんですよ、私は。

 

石の上にも日本人の言う「努力している」と「努力していない」の境目って「苦しんでいるか否か」だと思うんです。苦しんでいる人は高く評価され、苦しんでいない人は蔑んで見られる。そういう風潮が日本にはあると思いませんか?



極端な話、職場で周りの人間よりたくさんの仕事をこなしながらも鼻歌まじりでいる人とかを見ると「苦しくなるぐらいまで働けよ。そうすればもっと成果が上がるじゃん」なんて思いません? 逆に、人よりこなせる仕事量が少なくても必死で頑張ってる人を見ると「苦しくなるまで頑張ってることは評価してやろう」っていう気になりません?

 

もし仮に「努力=苦行」だとすると、さっきの疑問はこう言い換えられます。苦しみさえすれば、いい小説が書けるのか?

いやいや、そんな馬鹿な。

 

苦しめばいい小説が書けるのか

確かに、小説を書くことが苦しくないという人は稀です。プロにせよアマにせよ、多くの小説家は苦しみながら小説を書いています。


でもそれは、苦しめばいい小説が書けるからでも、みんなから褒められるからでもありません。
自分が書きたい小説があるからです。どうしても行きたいところに行く道が、たまたま苦しい道だったから、仕方なく(しかし文句一つ言わずに粛々と)そこを通るだけです。

しかしそれを、「自分は苦しんでいるから偉い」「あの人は苦しんでいるからすごい」とか考えるのは間違いです。それは、作家と作品に対する侮辱であるように私には思えます。卑しくも小説を書いたからには、小説の出来で評価して欲しい、というのが、多くの表現形式の中からあえて小説を選んだ人間として、当然の願いではないでしょうか。押しつけるつもりはありませんけど。

 

最近も、ネットではなくリアルでですけれども、私の作品を読んでくれた人が私のところに来てくれたことがありました。どんなことを言うんだろうとどきどきしながら聞いていると、その人は作品から想像する作者の私の人物像を述べ立てるばかりで、作品には一切言及してくれませんでした。作品の出来が悪かったから触れるのを避けたのかもしれないですが……どうもそうは思えませんでした。そのことを、私はひどく残念に思いました。

 

精進あるのみまとめると、苦しみ(つまり努力)は、いい小説を書く上で、限りなく必要条件に近い位置にあると言えます。しかし十分条件ではないのは周知の通りですし、いい小説さえ書ければいいのだったら、絶対に必要な条件だと言えるわけでもありません。


 

そして、小説を書いたり読んだりする時に、作者が苦しんでいるかどうか考えることは、古い言葉を使いますが、まったくナンセンスなことだと言わざるを得ません。努力を評価するなというのではありませんが、努力に対する評価と作品に対する評価は分けるべきではないでしょうか(中には、努力なんかなんの意味もない、と言って、誹謗中傷まがいの酷評を正当化する人もいますけれども。いえ、酷評はいいんですけどね)。

 

小説は努力で書くものではありません。理由なんかいらない、とにかく書きたいという不思議な情熱が、我々に小説を書かせるのです。情熱の後からついてくる苦しみに、負けずに書き続けることが、他人からは努力しているように見えることはありますけれども。