最近、中国共産党が強力なコロナ対策を取ったことにより、中国では感染が早期に収束したことに関して「こういう時は独裁の方がいいのだろうか?」と思い悩む人を見かけるようになりました。


で、私としては「うーん、こういう考え方もあるんじゃないかな」という、別の視点を提示してみたいと思います。




独裁では極端な方向に行きがち。つまり、逆の方向に行っていた可能性もある

中国共産党は、今回は(コロナ対策という点では)正しい対応をした、としましょう。


しかし、中国共産党が今回正しい決定をできたというのは、実はただの結果論です。


独裁体制では外部からのチェック機能が働かないため、全く正反対の方向に思い切り突き進んでいた可能性だって、十分に考えられます。


つまり、中国共産党は今回たまたま「徹底した感染対策」という正しい決断をしたけれども、一歩間違っていれば「経済最優先で何の対策もしない」という方向に突き進んでいた可能性もある、ということです。そのことを忘れてはいけません。


もちろん、民主主義国なら極端な方向には行かない、とまでは言いません。集団免疫という、病院のキャパシティには限りがあるという事実を完全に無視した、誤った方向に行ってしまった国もあります。


しかし、そうした国では、国民もそれを納得して支持していました。国民の間違いの責任を国民が取るのですから、独裁者が間違えた結果として大勢の命が失われるよりは、世の中のあり方としてまだマシな方と言えるでしょう。そこは現実の前に妥協する必要があります。


重要なのは「国民にせよ独裁者にせよ、常に正しい決断を下せるわけではない、という点では同じ」ということです。


ちょっとキツイ言い方になりますが「こういう時は独裁がうらやましい」と言っている人は、実は「自分の考え(=感染対策の徹底)を回りに押しつけたい」と思っているだけの「独裁者になりたがっている人」ではないでしょうか。


そういう人は、無意識のうちに「仮に独裁者がいたとしたら、自分と同じように考えるだろう」と決めつけてしまってはいないでしょうか。


あなたが待望する独裁者が、常にあなたと同じ考えとは限らない……まずは、そのことを忘れないようにしましょう。


「実際に起きたこと」だけではなく「起きていてもおかしくなかったこと」をセットで考えよう

話を戻しますと、今回の一件で


「こういう時は独裁の方がいいのだろうか?」


などと思い悩んでいる人は「実際に起きたこと」しか目に入っていません。こういうのを「結果論」と言います。


しかし、物事を評価する時には「実際に起きたこと(=感染対策の徹底)」と「実際には起きなかったけれど、起きていてもおかしくなかったこと(=感染対策なし)」をセットにして考える必要があるのです。


「起きていてもおかしくなかったこと」をきちんと考えられるようになり「結果論」という罠にハマらない人が、もっと増えてくれるといいなー、と思います。


 
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