「実名報道の是非」に関する議論が盛り上がるきっかけになった「京アニ事件」からしばらく経ったあとで、こんな記事をアップするのもなんなんですが、私の目から見ると「実名報道の是非」は「本当の問題」から目をそらすためのマスコミの作戦なのでは? という感じなので、今日はそのことを書きたいと思います。
本当の問題は「被害者遺族に対する過剰取材」
そもそも、この論争における本当の問題は「被害者遺族に対する過剰取材」であるはずです。
ネットの議論を見ていても、実名報道に反対する理由として「被害者遺族に対する過剰取材」を挙げる人がほぼ全てと言っていい。
だとしたら、本来この議論の中心は「被害者遺族に対する過剰取材の是非」とするべきであって「実名報道の是非」は二次的な問題であるはずです(実名が報道されたとしても、過剰取材がなければ、問題ないわけですから)。
議論をすり替えることによって利益を得たのは「マスコミ」
しかし実際には、ちまたではこの問題は「実名報道の是非に関する問題」として語られています。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?
私は別に直属の情報機関を持っているわけではないのでなんとも言えないところではありますが、しかし、「議論をすり替えることによって利益を得られるのは誰か?」を指摘することはできます。
それは、他ならぬマスコミです。
なぜなら、マスコミは自分たちの「過剰取材」を自己弁護するのは難しい一方、「実名報道の是非」に問題をすり替えてしまえば、自己弁護は簡単になるからです。
「被害者に対する過剰取材」には、弁護の余地がほとんどありません。
ですが、「実名報道」なら「社会的利益」とか何とかいう理由をつけて弁護することができます(実際、私も実名報道に関してであれば、賛成の立場です)。
国民はマスコミの誘導に「まんまと引っかかってしまった」のでは?
結論を言うと、
・マスコミには、自己弁護しにくい「過剰取材」から、自己弁護しやすい「実名報道」に話題をすり替えようとする意図があったのでは?
・そして国民は、そのマスコミの誘導に「まんまと引っかかってしまった」のでは?
ということです。
戦争では、守る側の軍隊が、守りにくい地形をあえて放棄して、守りやすい地形で戦う、ということがありますが、それと全く同じことを、国民はマスコミによってしてやられてしまったのではないでしょうか。
まだまだマスコミの影響力は大きい
前々から私は
「ネットの台頭でマスコミの影響力が低下した、って言っても、SNSを見れば、みんなテレビでやってるのと同じ事を話題にしてるよなあ」
などと思っていましたが、今回は改めて「まだまだマスコミの影響力は大きいのでは?」ということを感じさせる出来事だった……ような気がします。
まあ、この記事が私の考えすぎで、実際にはそんなことでは全然ない、という可能性もなくはないのですが……
でもやっぱり……
……問題の核心は「過剰取材」ですよねえ……?