最近の東京都の政治は面白いですね。私も便乗して、ちょっとコメントしてみようと思います。


この記事の主な論旨は


1:小池知事は確かに決断を先送りしているが、それは今のところ、民主主義的な熟議の時間を確保するためと受け取れる


2:小池知事に決断せよと迫る自民党は、決断ばかりしていてろくに議論をしない自分たちのやり方が、少なからぬ有権者の反感を買っているという事実をまるで理解していない


という感じです。




あの「ぐだぐだ」こそが、むしろ本当の民主主義の姿なのではないか?

小池知事と「決断」にまつわる問題と言えば、やはり築地市場の移転問題を挙げるべきでしょう。


都議会選を控えているためもあるのか、今は収まった感がありますが、一時期は毎日のように「豊洲市場の安全性」であるとか「豊洲移転が延期されて困っている関係者の声」などが盛んに報道されていました。


それを見て、最初は知事の豊洲移転延期の決断に賛成していた人の中にも「思ったより豊洲は安全そうだな」と思った人や「移転延期で困る人がこんなにたくさんいるのか」と驚いた人もたくさんいるだろうと思います。


そういった人の中には「やはり移転延期の決断は間違いだった」なんて思った人もいるかもしれません。


しかし、私はこれに「ちょっと待ってください」と言いたいと思います。


考えても見てください。


もしも豊洲移転延期と、その後に続く専門家会議や報道過熱がなかったら、我々は「思ったより豊洲は安全そうだな」なんて、思うことができたでしょうか? 移転延期の決断がなかったら、私たちは今も「豊洲が安全かどうか確信が持てない。不安だ」なんて、思い続けていたのではないでしょうか?


同様に、もしも延期の決断とその後の報道がなかったら、私たちは「豊洲移転で困る人たちがたくさんいる」ということを、知る機会さえもなかったのではないでしょうか?


知事がそれを意図していたかどうかは微妙なところですが、結果として、知事の移転延期決断は、豊洲移転に関する私たちの「納得感」を高める効果があったように思います。


言い換えれば、知事の移転延期の決断は、結果として私たちに「立ち止まってゆっくり考える時間」を与えてくれたのではないでしょうか?


そして私は、この「立ち止まってゆっくり考える時間を与えてくれる」ことこそ、いまの政治、特に自民党の政治に欠けているものなのだと思います。


あの煮え切らない専門化連中の会議や、怒号の飛び交う関係者への説明会を見て、うんざりする思いを味わった人も多いでしょう。


しかし私は、あのような「ぐだぐだ」は、真の民主主義が避けては通れないものなのではないかと思うのです。


パワフルでかっこいい指導者が、ぐだぐだすることなくスパッと物事を決めてくれる……それを気持ちが良いと思う人もいるでしょう。その指導者を選挙で選ぶのが民主主義であり、指導者を選ぶ時に選挙さえしていれば、選挙の後は指導者が反対勢力との話し合いを拒否したとしても何の問題も無い……なんて考える人も、最近は増えているような気がします。


知事選の時に小池さんに投票した人の中にも、小池さんに「優秀な独裁者」になることを期待していた人も多いでしょう。そういう人はもしかしたら「裏切られた」なんて思っているのかもしれません。


しかし、私には今のところ、小池都知事のやり方は民主主義という観点から見ればさほど間違っていないと思えます。もちろん決断を先送りすればするほどいいというものではありません。いつかは決断する必要があります。


しかし、こんな話もあります。私がアメリカの経営学の本で読んだ話です。


とあるアメリカの会社の話ですが、ある時、この会社は二つある主力事業のうちの一つに経営資源を集中させねばならない状況に追い込まれます。二つのうちどちらに注力するかで社内は真っ二つに割れ、経営者には決断を求める声が高まります。


しかし、経営者は決断を先送りにし続けました。すると何が起こったか。


時間が経つにつれ、社内では議論と情報交換が進み、段々と、半ば自然に、社員の多くが「どうもこっちの方が良さそうだな」という意見に傾いてきたというのです。その動きはその後も時間と共に進み、やがて社員の大多数が「我が社はこちらの道に進むべきだ」と考えるようになった頃、ようやく経営者は決断を下しました。「じゃあこっちね」と。


その会社の決断は当たり、いまは注力した分野で大成功を収めているという話です。


もちろん、この会社のように時間に余裕がある時にしか使えない手法ではありますが、それでもとても示唆に富む話ではあります。


話を戻しますと、ですから私は、決断を先送りすることが常に悪いというわけではないと思うのです。


「決断を先送りしてはならない」という警句が出てくるのは、多くの場合、戦争に関する本です。私も、戦争では素早い決断で敵を圧倒するのが重要だということは分かります。しかし、私たちはいつもいつも戦争をしているわけではないですよね?


政治でもビジネスでも、素早い決断で相手を圧倒するよりも、決断を先送りすることによって、時間をかけて身内をまとめ上げた方が良い結果に結びつくことが、しばしばあるのです。


最近は「決断は早ければ早いほどいい」「独裁で何が悪い」などと考える人も増えているように感じますが、私としては、違う視点を持つことも大事だろう、と思います。


自民党は「決断しかできない」

いま、自民党は都議会選を控えて、小池都知事のことを「決断できない」と批判しています。


しかし、では自民党の言う「決断する政治」とは何なのか? 決断、決断、決断ばかりしていて、ろくに議論を深めず、有権者の間の分断を日増しに高めても一向に構わないという姿勢で、本当に良いのでしょうか?


自民党が出してくる政策が絶対に正しいのであればそれでも良いのでしょうが、そんなはずはありませんよね?


そもそも社会全体として、長い目で見て重要なのは、絶対に間違えないことではありません。なぜなら「絶対に間違えない」ことは不可能だからです。


そこで、善後策として「間違えた人をすぐに交代させる」ことや「間違った政策はすぐに修正させる」こと、そして、それを可能にするシステムを維持していくこと、すなわち民主主義を守っていくことが、長い目で見て社会を守っていくことにつながります。


しかし、決断ばかりしていて議論を拒否していては、間違いを正すことができません。決断ばかりの政治を続けていくと、社会の分断が深まり、有権者は派閥と派閥に分かれてしまい、間違いを正すのが難しくなります。そうなってから社会の団結を回復しようと思っても、多大な苦労をせねばならないでしょう。


また「選挙さえあればそれが民主主義だ」「だから選挙の後は何をやってもいい」などという考えに基づいた決断重視の態度では、ある選挙から次の選挙までの間に、政治が「取り返しのつかない間違い」を犯してしまう危険性があります。


そこへ行くと小池都知事は、豊洲移転を延期し、時間をかけて調査し、議論することによって、このような「取り返しの付かない間違いを犯してしまうリスク」を巧みに回避したように思います。


こうして見ると「決断できる」と自負しつつその実「決断しかできない」政党である自民党は、極めて危険な政党であり、そのような政党に投票することは「外れると罰金を払わされる宝くじ」を買うようなものであると、私は思います。


……まあ確かに、小池都知事に投票するのも結局は「外れると罰金を払わされる宝くじ」を買うのと一緒であるという主張はあり得ます。


でも「私は絶対に外れません」と言っている宝くじと「できるだけ外すことのないように、時間をかけて考えていくことにしたいと思っています」と言っている宝くじ、どちらかを選ぶんだったら、答えは明らかだと思うのですが、皆さんはどうでしょうか。


*2017/06/25追記:この記事を書いてすぐ、小池都知事は「豊洲市場に移転した後、一部を築地に戻す」という決断を下しました。


あらら……実際にこの記事を書いた時点でも「小池都知事本人が自分のやってることの意味を自覚しているかどうかはハッキリしない」とは思っていましたが……まあやはり小池さんとしても都民の「優秀な独裁者たれ」という望みに答えようとしたんですかね。


ただ、この記事の主旨「決断するばかりではなく立ち止まって考えるのも大切だ」というのは変わりないと思うので、この記事はそのまま残しておこうと思います。


ではでは。