自殺今回は、巷を騒がせている大津市の中学生自殺事件に絡んで、いじめ問題についてちょっと書きたいと思います。


 

なお、私は以前メルマガで「分からないことは、分からないままにしておけ」という記事を書きましたが、この記事と今回の事件があまりに関わりが深いように思えたので、追記を書きました。

このブログ記事のテーマとはまた違った視点「大津市教委の答弁の背景にあるのは近代の科学偏重主義が抱える修正されるべき構造的な欠陥である」という論旨で考察していますので、よかったら是非ご一読を。

 

 

拒否抵抗

私は既に社会人であります(少なくとも私はそう思っています)が、全ての社会人がそうであったように、私もかつては中学生でした。

 

その経験から言いますと、子供たちの中には「抵抗しない子供たち」が一部でいます。

別に大津市で自殺してしまった中学生がそうだとは言いませんが、「いじめ」と「抵抗しない」ことには密接な関係がありそうだというのはなんとなく見当がつきます。

 

ここでちょっと遠回りをしますが、多くの場合、国家の軍事戦略の根底にあるのは仮想敵に勝つことではありません。普通の国にはそんな予算も人員も技術もありません。

では軍事戦略の根本とは何か。それは「仮想敵が侵略を思いとどまるのに必要十分な状態を作る」ことです。状態を作るとは、戦力を保有してもいいですし、大国と軍事同盟を結ぶことでも構いません。

「攻めることによって得られる利益」よりも「攻めることによって受ける損害」が大きければ、よっぽどの勘違いをしない限り、普通は敵は攻めてきません。

また、敵が「よっぽどの勘違い」をして攻めてきた場合であっても、徹底抗戦して「敵が許容可能な以上の損害」を強いることができれば、敵はすぐに手を引き、当分の間は攻めてこないでしょう。これがポイントです。

 

で、話を戻します。私が中学生の頃、同級生に「抵抗しない子」がいました。気の弱い男の子だったのですが、同級生に何を言われても抗議することなく力なく笑い、給食を横取りされても「いいよ」と気弱そうに言っていたのです。先生がそれを見てもただの友達づきあいと思っているのか、放っておくのです。転校生だった私はそれを見て驚いたものでした。

 

抵抗しなければ侵略者の思うがままなのは当たり前です。抵抗しない方が悪いとは言いませんが、まず自分が抵抗しなければ普通は誰も助けてくれないと考えるのは極めて妥当です。そういう、ちょっと考えれば誰でも分かることが分かっていない子(あるいは、分かっていてもなお抵抗しないことを選ぶ子)がいることに、私は非常に驚いたものでした。一体、将来どうやって生きていく気なんだろうと今でも思います。

 

このサイトを定期的に見ておられる方ならおわかりでしょうが、私は左翼です。左翼には「無抵抗主義者」というのが一部でいます。「私は平和主義者だから、敵が攻めてきても抵抗しません」というものです。しかし私は、左翼ではありますが、無抵抗主義者ではありません。というか、無抵抗主義者は同じ左翼として恥ずかしいです。バカじゃないのかと思います。左翼にはよく「左翼=知的」「右翼=バカ」と思っている人がいますが、右翼だろうが左翼だろうがバカはたくさんいますし知的な人もいます。

 

すっかり話がそれてしまいましたね。そんなわけで、もし今も「無抵抗な子供たち」がたくさんいるのであれば、さっさとやめて抵抗して頂きたいのです。

 

陸上自衛隊

写真は陸上自衛隊。自衛隊は、永世中立ではない国としては、世界でも珍しい「拒否抵抗」のみを目的とすると喧伝されて創設された組織です。本当はなくなるのが理想ですが、そういうことを言うと不安がる人も最近は多いですからね。

画像はWikipedia「陸上自衛隊」より。2013/01/11閲覧

 

私自身、そういう子を実際に見てきているわけですから、それがなかなか難しいことも分かっているのですが、でもやっぱりなあ……いじめっ子の同級生を罵倒したり殴ったりすることにそんなに抵抗があるっていうことが、私にはどうしても理解できんのですよ……別に大したことじゃないじゃないですか。 子供なら罪にも問われないし。

 

 

なぜ「抵抗しない」のか

こういう「抵抗しない子供たち」が増えた背景には、やっぱり日本の教育制度があるんじゃないでしょうか。

 

こと日本の教育において、子供たちに人権はありません。少なくとも子供たちが主体的に何かを選ぶということは許されません。

このことは、社会に対する責任感・関与意識を養う上で極めて有害です。やるべきことは上から与えられるだけ、という状態に子供たちを長く置いたら、普通は社会参加意識なんか消えてなくなります。もっと子供たちに権利を与えて自由裁量でやらせるべきなのです。

 

こんな話があります。ある小学校のクラスでは、男子が女子よりも多かったそうです。これに目をつけたお調子者の男子が「掃除は女子が行うこと」という議案をクラス会で提出し可決されそうになったのですが、教師が介入してやめさせたということでした。

 

この出来事を取り上げた論者は、多数決は完璧ではないことの一例として上げたものでしたが、私も多数決は完璧ではないことには同意するものの、教師の介入がよい形で行われたとは思いません。

 

教師は介入するとしても、投票結果に介入するのではなく、不満を訴える女子生徒たちにストライキを行うよう指導するべきだったと思います。それこそがよりよい民主主義への第一歩で、かつ社会に出てからも役に立つ教育というものです。 こういった発想が、今の日本の教育では絶望的に欠如しています。

 

学校の廊下今の日本の教育は、子供たちから権利意識を奪うようにできています。まるで、大人になった時に統治がしやすいように意図的にやっているかのようです。

 


 

権利意識教育の欠如がいじめの原因の全てであるとは決して言いませんが、子供たちが抵抗するようになれば、いじめはもっと減り、かついじめの程度も軽くなるはずだと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。