戦後の社会主義運動や、戦前からのソ連のイメージから、共産主義が「反資本主義」であることは、自明であるような印象があります。
しかし、共産主義の大本をたどると、実はそれは誤った見方なのかもしれない、という話を、今日は書きたいと思います。
マルクスの言っていること、言っていないこと
「共産主義」という考え方の本家本元は、十九世紀に活躍したカール・マルクスという人物です。が、この人、肝心の共産主義そのものについては、あまり多くを語っていません。
では彼は何を声高に語ったかというと「資本主義はいずれ行き詰まり、崩壊する」ということでした。
資本主義がなぜ行き詰まるかは、今回の本題ではないので省略します。
では、ここで言う「崩壊する」とは、どういうことなのでしょうか。資本主義が崩壊するというと「世界は核の炎に包まれた」的な展開を連想する方も多いかもしれませんが、マルクスが考えたのは「革命が起きて、新しい体制に移行する」ことでした。
マルクスが唱えた「唯物史観」
なぜマルクスはそんな考えを抱いたのか。これを理解するために、マルクスの「唯物史観」を見て行きましょう。
難しい表現を端折って簡単に説明すると、まず、ある時代において
1:技術のあり方は、経済のあり方を決定する
2:経済のあり方は、社会のあり方を決定する
ここまでは分かりやすいでしょう。しかし、ここから時代が進んで、技術が進歩すると、どうなるでしょうか。
3:技術が進歩すると、経済のあり方が変わってくる
4:経済のあり方が変わってくると、新しい経済は自らに合わせて既存の社会のあり方を変えようとする。しかし、そう簡単に社会は変わらない
5:経済はさらなる成長のために、足かせとなる既存の社会との対立を深める
6:こうなると、遅かれ早かれ何らかの形で革命が起き、社会のあり方が経済の成長を助けるような形に変革される
7:3〜6までを繰り返す
たとえば、中世の封建制から、近代の資本主義への移行を、これに当てはめて考えてみましょう。
1:中世の時代は、工業製品を大量生産する技術がなく、農業が主要な産業だった(技術のあり方が、経済のあり方を決定する)
2:農業が主要な産業だったために、農地を支配する力を持つ、騎士や武士といった戦士階級、あるいは農地を戦士階級に分配するだけの政治力を持つ国王や将軍が権力を持っていた(経済のあり方が、社会のあり方を決定する)
3:産業革命によって工業製品を大量生産する技術が出てくると、工業が農業を上回る産業規模を持つようになる(技術が進歩すると、経済のあり方が変わってくる)
4:工業が重要になったので、工場の所有権を持ついわゆる「資本家」たちの発言力が高まる。また、経済を発展させるために、資本家たちの意見を政治に反映させることが必要になってくる……というより、それができた国だけが、発展して生き残ることができる。しかし、既存の王侯貴族の抵抗は根強い。
この後、新興勢力と既存勢力の対立が臨界点を越えて革命が起きるわけですが、革命のあり方は国ごとに色々です。取り立てて革命というほどの争乱は起きず(起きても小規模で)、資本家への権力移行が比較的スムーズにいった国もあれば、血で血を洗う戦争を何度も繰り返した末にやっとの思いで成し遂げた国もあります(前者の代表格はイギリス、後者の代表は(意外かもしれませんが)フランスとされます。日本における資本家への権力移行は、第二次大戦の戦後処理によってなされたと私は考えますが、後者に入れていいかもしれません)。
また、資本主義革命の過程で権力を得たのは、資本家だけでなく労働者もだ、という意見もあります。工場で働く労働者の発言力が、工業の発展とともに高まったのだ、という主張ですね。
と、長々と述べてきましたが、こんな風にして、社会は経済の発展に引きずられるように発展していくのだ、という考え方が、マルクスの唱えた「唯物史観」の根幹です。
共産主義は反資本主義か?
以上の唯物史観を踏まえた上で、マルクスは「資本主義は時代遅れでもうすぐ行き詰まる! かつて封建制が資本主義によって倒されたのと同じように、資本主義は共産主義によって倒されるだろう! これからは共産主義の時代だ!」的な主張を展開します。
が、十九世紀の時点で唱えられたこの主張は、さすがに的外れだった、と言っていいでしょうね。
それはともかく、今回の主題「共産主義は反資本主義か?」という点に絞って考えてみたいと思います。
マルクスの唯物史観をそのまま解釈すると、共産主義が政権を取るには、資本主義が行き詰まらなければなりません。
では「資本主義の行き詰まり」を招くのは、何でしょうか……唯物史観から考えれば、それは技術の発展であり、それに基づく経済の発展であるはずです。
ここで私は立ち止まり、考えます。マルクスの唱えた共産主義は、本当は反資本主義ではないのではないか。マルクスが言ったのは、ゲームでたとえると「資本主義がレベル99になってそれ以上レベルアップできなくなると、共産主義レベル1にジョブチェンジできる」ということなのではないか、と。
もっと単純に「資本主義の行き詰まりを招くのは、他ならぬ資本主義それ自身の発展ではないのか」ということです(同様の主張を、マルクスは「資本論」でしているらしいです)。
実際、近頃の世界経済を見ていると、人件費の安い国に仕事が流出し、これまで豊かとされた国の一部で失業が問題になっています。失業が問題になっていない国では、人件費の安い国から少しでも仕事を取り返すためだとして、人件費の削減が相次ぎ、人々の生活水準は下がっています。
ところが、人件費を安く抑えすぎたせいで、肝心の商品を買える人が少なくなってしまい、売り上げが伸び悩むということが起きています。これでは、蛇が自分の尻尾を食べるようなものです。
こうした現象は、資本主義の発展に伴って出てきたものです。企業が競争に勝つために生産性を向上させて人件費を削減する一方で、人件費削減による有効需要の不足が、生産性の向上を無意味なものにしている。
一方で、生産性が上がった結果、全員が働かなくても全員に商品を供給できる、という時代も夢ではなくなってきています。
こういった現状を、資本主義の発展が極限まで至ったために「経済のあり方が変わってきたのに合わせて、社会のあり方を変える必要が出てきた」と、唯物史観的にとらえる事も、十分できるのではないでしょうか。
共産主義は「資本主義の上位互換」ではないか
ここでかつて、資本主義革命によって、工業に「産業の王様」の座を奪われた、農業の現状を見てみましょう。
資本主義によって、農業は冷遇されるようになったでしょうか。まあ、日本の場合はそうかもしれませんね。
しかし、他の先進国では、様子は大きく異なります。特にアメリカおよびEUは、農業にジャブジャブ補助金を投下しています。
そんな補助金で作られた農産物の一部は、日本にも輸入されて日本人を養っているわけですので、全世界的な視点で見ると、農業が冷遇されているわけではなさそうです。
そりゃあ、そうですよね。人間、食べる物がなくてはやっていけませんから、農業を軽視しようものなら、国が傾いてしまいます。
ここから思うに、共産主義もまた、資本主義の発展の過程で得られたものを、軽視するわけにはいかないのではないか、と思うわけです。
餅は餅屋ではありませんが、資本主義が持つ「生産を最大化して消費を最小化」しようとする力は無視できないものがあります。
現在「消費を最小化しすぎて生産の向上が無意味になっている」というとてつもなく高い壁にぶち当たっているとはいえ「生産を最大化して消費を最少化」すること自体は、人類の豊かさにプラスの貢献をするものです(実際、これまではしてきました)。
だとすると、本来あるべき共産主義のあり方……資本主義の次の社会のあり方は、どんなものなのでしょうか。
こうなると、反資本主義的に、資本主義の価値観を完全に排除してしまうのは、ちょっとどうなんだろうと思いますね。
つまり、共産主義は資本主義の全てを包含しつつ、資本主義に包含しきれないものを追加で包含する「上位互換」であるべきなんじゃないかと、私は思うわけです。
そうなると「資本主義は封建制を包含していると言えるのか」という、もっともな疑問が出てくるでしょう。
でも考えてみてください。国の補助金で養われている農家というのは、国王や将軍に領地を与えられている騎士や武士と、それほど大きな違いがあるでしょうか。もっと言えば、昔の共産主義が唱えていた「農地の共有化(国有化)」とも、似ていると言えば似ている気がします。
ですから、今後の共産主義の新しい方向性として「資本主義以上のものを目指す中で、資本主義が包含するものを切り捨てずにやっていく」というのは、十分考えられると思うのです。
まとめ
「それなら、いっそ資本主義のままでいいじゃないか」という方は、それでもけっこうです。どうぞ頑張って、現在の資本主義世界が抱える問題を(資本主義を保ったままで)解決するという無理ゲーにチャレンジしてください。無理だと思うけど、できたら褒めてあげます。
あ、でも戦争を起こして有効需要を創出しようとか、犠牲の多くなる方法で自分の間違いを証明しようとするのは、頼むからやめてくださいね。
そんな馬鹿げた事をあなたがやろうとしたら、ぶっ殺してでも止めます。
私の方からは、以上です。