statistic_is_the_best最近、立て続けに統計学の本を読んで、十代の時には分からなかった「帰納と演繹」について、深く考える機会があったので、その内容をまとめてみようかと思います。

 

 

まずは百科事典を確認

帰納と演繹。まずはお約束どおり、百科事典を引いてみましょう。といってもいつもの通りWikipedia(2014/05/12閲覧)ですが、まあ大丈夫でしょう。

 

 

帰納…個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則・法則を見出そうとする推論方法のこと。対義語は演繹。演繹においては前提が真であれば結論も必然的に真であるが、帰納においては前提が真であるからといって結論が真であることは保証されない。

 

演繹…一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る推論方法である。対義語は帰納。帰納の導出関係は蓋然的に正しいのみだが、演繹の導出関係は前提を認めるなら絶対的、必然的に正しい。したがって実際上は、前提が間違っていたり適切でない前提が用いられれば、誤った結論が導き出されることがある。

 


上記内容を読み飛ばした方。あなたは私に似ています。気が合いそうですね。

 

……などという冗談はさておき、上記内容だけではさっぱり分かりません。十代の頃、倫理か何かの授業で「帰納と演繹」を習った時の私もそうでした。

 

いえ、さっぱり分からないどころか、私はこうも思ったのです。
「帰納においては前提が真であるからといって結論が真であることは保障されない……ってことは、やっぱり演繹の方がいいんじゃないのか?」
と。

 

ジョン・スノウの調査

しかし最近ちょこちょこと統計学の本を読んだりして「帰納と演繹」について、色々と考えさせられるものがありました。

 

「統計学」は、上記で言う「個別的・特殊的事例」を大量かつ適切に収集・分析して「一般的・普遍的な法則を見出す」学問です。つまり、統計学は帰納そのものなのですね。そんな統計学の本を読むことによって、私の中で「帰納」に対する理解が深まり、今回のコラム執筆に至った、というわけです。

 

たとえば、少し前によく書店で平積みされていた「統計学が最強の学問である」という酷いタイトルの本。実はこの本、酷いのはタイトルだけで内容はかなり良いのですね。

 

325px-Choleraそれはそうと、この本の冒頭には、19世紀のロンドンでコレラの被害を分析し予防策を立てる上で、統計が(帰納が)一役買った、という逸話が出てきます。

 

その逸話を読んでいると、当時の技術水準では演繹法が無力だった、ということが分かります。上記の定義では、演繹法は「一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る」ことです。ただ、19世紀のロンドンの場合、当時はコレラの原因がコレラ菌だということが解明されていませんでした。これでは「一般的・普遍的な前提(コレラにかかるのはコレラ菌のせいだ)」を立てることができないために、演繹法では問題に対処できない、ということになります。

 

では、帰納法ではどうだったのでしょうか。「統計学は最強の学問である」によると、ジョン・スノウという医師は大規模な調査の結果「水道会社Aを利用している住民は、水道会社Bを利用している住民より、8倍もコレラによる死亡率が高い」という事実(個別的・特殊的な事例の集合)をつきとめ「水道会社Aの利用をやめれば、コレラによる被害を(ゼロにはできなくとも)大幅に減らせるのではないか」という提言(一般的・普遍的な規則・法則を推論)をした、とのことです。

 

実際、水道会社Aは川の下流から取水していたために水質が悪く、そのためにコレラ菌が多く含まれていたのだろうと思われます(当時はもちろんそんなことは分からず、これは後知恵ですが)。

 

残念なことに、当時このジョン・スノウ医師の提言は大半の地域で「科学的根拠に乏しい」と退けられてしまったそうなのですが、その後、コレラ菌が発見されるまで三十年を要したという事実を考えれば「帰納法が時として演繹法を凌駕する」のは明らかでしょう。

 

John_Snow現在ではもちろん、ジョン・スノウ医師が用いた手法は「疫学」という分野として確立され、より洗練された形で、私たちの健康を守るのに役立ってくれています。

 

帰納と演繹の特徴を整理してみる

さて、エピソードの紹介だけではちょっと分かりにくかったかもしれませんので、改めて、今回のケースにおける帰納法・演繹法それぞれのメリット・デメリットについて整理してみましょう。

 

 

帰納法
・メリット … 原因を特定するための科学的知識や器具がなくても、被害を抑えることができる。今回のケースで言うと、コレラ菌が発見されていない時代の人(現代で言うと、コレラ菌を検出する技術がないような、貧しい地域に住んでいる人)でも、怪しい水道会社の利用を止めることで、コレラの被害を減らせる。

・デメリット … 原因が分からないので、対症療法になってしまい、根本的な改善策がとれない。今回のケースで言うと、利用を止められた水道会社は、利用者の信頼を回復するために何をどうすればいいのか、さっぱり分からない。


演繹法
・メリット … 根本的な対策がとれる。今回のケースで言うと、利用を止められた水道会社は、自社が供給する水から細菌を消毒したり、そもそも細菌が少ない綺麗な水を手に入れればいい、ということが分かる。

・デメリット … 科学的な知識や器具がないと、原因が分からないために対処ができず、被害を減らすことができない。今回のケースで言うと、コレラ菌の発見まで三十年を要してしまった。

 


以上の内容を元に「帰納と演繹」について、私なりにわかりやすくまとめると、こんな風になります。

 

360px-Well_with_bucket,_Ichijodani_200507帰納とは「この井戸の水を飲んだ人が死んでるから、この井戸の水を飲むな!」であり、
演繹とは「この井戸の水から毒が検出されたから、この井戸の水を飲むな!」である。

 

少なくとも自分の中では、これで十代の頃からの疑問が氷解したような感じになりました。

 

まとめ…場合に応じて使い分けるのが大事

このことから「帰納と演繹はどちらが優れているのか」という問いは、あまり生産的でない、ということも分かりました。

 

どちらにもメリット・デメリットがあるので、ケースに応じて適切に使い分けることが大切、ということなのでしょう。このあたりの使い分けについては、また改めて記事にするかもしれませんが、今回はこのあたりで締めたいと思います。

 

最後になってしまいましたが、統計学というものに不信感を抱いている人も多いと思います。統計学はその性質上、確率でしかものが言えませんし、少しでもデータの取り扱いを間違えると(あるいは故意に誤った取り扱い方をすると)誤った結論が導かれるので、なかなか信用できないというのも、無理からぬことです。

 

しかし、今回取り上げた「統計学は最強の学問である」を読むと、統計学者たちは日々努力して研究を進め、統計の精度を上げよう、統計学を信頼される学問にしよう、と頑張っているんだな、ということがよく分かります。また「統計の嘘」を見抜くためにこそ、統計学の知識が必要なんだな、ということも思い知らされます。

 

本論とは外れますが、私に大きな示唆を与えてくれた本でもありますので、この記事を読んでくださっている皆様にも、おすすめしておきたい一冊です。