bunpou何の巡り合わせか、私の文章を見るのはこれが初めて、という方のために書いておくと、私は小説を書いている。

 

小説を書いていると「ここは『私が』にしようか、それとも『私は』にしようか」なんて考え込むことがしょっちゅうある。いわゆる「助詞・助動詞の選択」というやつだ(なお、私は助詞と助動詞の区別をつけることをあまりしない――変化の有無が違うということぐらいは知っているが、あまり興味がない)。この話は、もっと簡単に「てにをは」と言い換えることができるかもしれない。

 

 

神は細部に宿るのです

ほんの一文字やそこらの違いでも、小説の中では決して小さくない重みを持ってくる。たとえば先に挙げた「私が」と「私は」の違い。私は昔学校で習った知識などほとんど忘れてしまったので、イメージ優先で述べることしかできないが、「私が」の場合だと「他人ではなく自分がやることに(客観的な)意味がある」と言ったような、強い意味を持つ。対して「私は」はもっと弱い意味で「別にあえてそうする特別な意味はないがその時はそうした」みたいな感じだ。

 

いや、もちろん「が」と「は」は品詞上は全く別の意味を持つ助詞だ……両者は完全に置き換えることのできるものではなく、一方をもう一方に置き換える時は、その一文を全て書き換えなければならない。たとえば

 

「私がやったことの意味は~」
「私はその時そうしたが、その意味は~」

 

なんて具合に。

 

しかし、私はいま「読む」のではなく「書く」ことを前提に話している。だとしたら、ちょっとした意味の違いのために、一文を丸々書き換えることは、十分検討に値する選択だ。だから私はたびたび、助詞・助動詞の選択で悩む。

 

 

昔の話なのです

そもそも、私はなぜ、小説を書こうなどと思ったのだろう。


実際のところ、私は気がついたら書いていた。確か十四歳の頃だったろうか。以来、懲りることもなく、ずっと書き続けている。もう十年以上ということになる。

 

今回、助詞と助動詞のことを考えていて、ふと十年ほど前の、ある出来事を思い出した。

 

C785_houkagonokokuban500その時の私は中学生で、国語の授業を受けていた。もちろん、品詞に関する授業である。で、先生が授業の終わりに宿題を出した。一つの文章を示して、妙なところに空欄が空いている。「ここに入れる助詞を考えてきてください。もちろん、正解は一つですよ」というわけだ。

 

休み時間になると、同級生はたびたびその宿題に関して、ああでもない、こうでもない、と意見を出し合った。

私はその頃にはすでに、心に確信を秘めた答えを持っていた――少し考える時間を要したものの、理屈ではなく、感覚で分かったのだ――が、最初は、誰にも教える気はなかった。

 

……だが、同級生の間から、その答えがいつまでたっても出てこないのを見て取ると、私はしびれを切らして――不安になったのもあるかもしれない――その答えを言ってみた。するとその場にいた男友達は口々に「ああ、それだ」「それっぽい」「たぶんそれが正解だろう」と言い出す。私は鼻高々といったところだった。

 

 

しかし、放課後にもう一つ、こんな出来事があった……当時、私には好きな女の子がいた。同じ年齢なのに、とても大人びた、綺麗な子で、クラスのマドンナみたいな存在だった……私には高嶺の花だったが、ずっと憧れていた。

 

その日の放課後、部活動を終えた私が、誰もいない教室にいて、帰る準備をしていると、その女の子が友達と一緒に入ってきた。忘れ物を取りに来たか何かだったらしい。

 

そして、教室を去り際に、彼女が友達にこう聞いたのだ。「あの宿題の答え、○○だよね?」と。それは、私が男友達に教えた答えだった。どうやら、私が出した答えは、私が知らない間に、口コミでクラス中に広がっていたらしい。

 

数日後、国語の先生は授業の冒頭で「えー、どうやら誰かが考えた答えが共有されてしまったみたいですが(苦笑)。正解は○○です」と、私の答えを黒板に書いた。クラスのみんなは、正解して大喜びだった。もちろん、私の好きな、あの女の子も。私も嬉しかった。

 

今の、そして未来の話なのです

別に、そのことが、小説を書き始めたきっかけだった、というわけではない。でも、あの頃から、自分は何も変わっていないのかもしれない、とは思う。

 

彼女は、あの宿題の答えを、最初に考えついたのが私だとは、知らないだろう。それでも、私は彼女が喜ぶ顔を見て、嬉しかった。

 

いつか、私の書いた小説が、彼女の目に触れる機会があるだろうか。もしそんな幸運が訪れたなら、彼女がまた喜んでくれればいいな、と思う。たとえ、それを書いたのが、かつての同級生だと知られなくても。


……なお、ここまで書いていて「冷静に考えると、他の誰かが同時に宿題の答えを見つけていた可能性もある」と思い至った。特に、彼女と仲の良い、文才のある女子生徒がいた。彼女ならやりかねない。

……でも、それではつまらないので、もうこのことはこれ以上考えないことにする。まる。