不況の昨今、夫婦共働きで、なかなか子供と一緒にいられないというご家庭も多いかとは思います。
が、そういう事情を分かりつつも、今日は「買い物に子供を連れて行くことによる教育効果」すなわち「『買い物』という教育」について考えて見たので、いつもどおり適当に書いていきたいと思います。
お釣りの話
買い物の教育効果について、改めて考える切っ掛けになったのは、最近こういう話を聞くようになったからです。
たとえばこんな感じ
――買い物で750円になったので、1050円を出したら、店員に「750円だから、1000円だけでいいですよ?」と首をかしげられた。
なんて話です。
一応、念のため書いておくと、これは話し手の財布で十円玉だか五十円玉だかがだぶついているとか、百円玉が足りないので補充したいとかで、三百円のおつりをもらいたいから、わざと1050円を出すというものですね。
特に珍しくも何ともない話なのですが、最近、これがまったく理解できない人をしばしば見かけるようです。店員に顔をしかめられた例もあるとかなんとか。
別に、こうした「お釣りの話」は、学校で教わるとかそういうことではなく、家庭教育の範疇に入ることだと思うのですが。まあこれが理解できない人が、最近になって増えてきたのか、昔からいたのが最近になってTwitterなどのおかげで可視化されただけなのかは判然としませんが、家庭教育の能力が欠如してしまった家庭が一定程度存在するのではないか、という事実は十分うかがい知ることができるかと思います。
お魚の話とか、電球の話とか
あと、最近の子供の中には、魚と言えば食卓に上るような切り身の姿でしか知らないので、切り身がそのまま海を泳いでいると思い込んでいる人がいる、などという、都市伝説めいた噂話も聞きます(予備校講師の方が言ってたので、根も葉もない話ではないと思うのですが……)。
他にも、私が実際に経験した話として、数年前、十代の時、同年代のとある人物に電球を買ってくるように頼んだら
「店をくまなく探したら、奥の方に爆安の電球が置いてあったぜ! 得した!」
などと言って帰ってきました。
……勘の良い方なら既にお察しかも知れませんが、彼がごろごろと取り出したのは、電気代が高くて長持ちしない旧式の電球でした。
当時はまだLED電球は一般的ではなかったとはいえ、蛍光灯の技術を流用した、電気代が安くて長持ちする新型の電球が主流な時代だったのですが。旧型の電球がお得になるのは、電球を壊してしまった場合だけだったのですが……。
可能なら、買い物にはお子さんを連れて行った方が……?
まあこんなことは笑い話の範疇ですので、商業流通網が発達した昨今、多少おばかでも死にはしないのですが、でもやっぱりこれが自分の子供だったらと思うと……ねえ……?
こういうことをなくすには、家庭教育を充実させるのが、一番手っ取り早いでしょうね。
お子さんが小学生ぐらいになると、買い物に連れて行かなくなる家庭がほとんどだと思いますが、やっぱり小学校で算数や理科社会を学んで、お金の価値や世の中の仕組みが分かってからこそ、買い物で学べることも大きく増えると思うんですよね。
お釣りの話なんかも、買い物の中で、親の振る舞いを見たり、その意味を考えたりして、学んでいくものだと思うのです。
というわけで、可能なら、ある程度お子さんが大きくなってからも、買い物にお子さんを連れて行ったらどうかな、なんて思うのです。
そうするとお菓子やおもちゃをねだられるんじゃないかという心配はもっともですけどね。
でも、そこでお子さんが将来、健康に良い食事を作れるよう、お菓子ではなく肉や野菜などの生鮮食品を選ばせるとか、工夫次第でやりようはあるんじゃないかな、なんて思います。
それより問題は「働きづめで、子供と一緒に買い物に行く時間なんかない」という、貧乏暇無しの話ですよね。でもねえ、これって絶対世の中が悪いと思うんですけどね。なんとかなってほしいものです。