clownこれだけネットが日常生活に食い込んできてる中で、リアルとネットの区別をつけることに何の意味があるのか、というのはもっともな話です。

 

ですがそれでも、やっぱり、面と向かってでは言いづらいことでも、何か媒介があれば言いやすい、あるいは伝わりやすい、ということはあるかと思います。

 

 

道化になるしかない

誰が言ったのだったか……「本当のことを言いたいなら、道化になるしかない」とか。「賢いことを言いたいなら~」だったかな?

 

「本当のこと」や「賢いこと」はリアルでは言えないことがありますよね。言ったら嫌われる気がしますし、たぶん実際に嫌われるでしょう。

 

あるいは「本当に本当のこと」「本当に賢いこと」なら、言っても嫌われない?  でもそれを言ったら「本当」とか「賢い」とかは何なんでしょう。「真実」や「賢い」ではなく「嫌われない」ことが目的になってしまうのでは?

 

もちろん、多くの人間の目的は、自分が「好ましい」と思う状態に周囲の環境を持っていくことです。だから「嫌われない」ことが軽視されて良いわけでは決してありません。何が「良い」のか「賢い」のかを誰かが、特に権力者が勝手に決めていいはずはなく、そういう意味では、嫌われないことも大事なことです。


それじゃあ、嫌われずに本当のことを言うには、どうすればいいんでしょうか。

 

普通「嫌われずに本当のことを言う」必要に迫られた人は、ユーモアに見せかけますよね。
つまりあれですよ。ブラックユーモア。皮肉とか、不謹慎ジョークとか。

 

Matejko_Stańczykなんだか、黄金期のポーランドには有名な宮廷道化師がいたそうで。「スタンチク」と呼ばれているらしいその宮廷道化師は、ユーモアに見せかけて深いことを言うので有名だったそうです。Wikipediaの該当記事によると、当代きっての思想家として、知識階級からも一目置かれていたのだとか。

 

まあ、なんか。私もリアルでは、そういう立ち位置を目指しているというか。というよりむしろ、スタンチクの存在を知って「あ~昔のポーランドにそんな人がいたんだ。俺もこうありたいなあ~」みたいな、一種のあこがれの気持ちと言いますか。

 

 

虚構

さて、嫌われずに本当のことを言うには、ユーモアしかないのでしょうか。やっぱり、冗談混じりじゃ伝わりにくいことも、きっとありますよね。じゃあどうすればいいのか。

 

そりゃあ、あれですよ。あれがあるじゃないですか。

 

「この作品はフィクションです。実在する人物・団体とは一切関係ありません」

ですよ。

 

つまり「これって本当のことだよね」って思う一方、リアルには言えないことでも、フィクションの作品という形にして、娯楽性と一緒にしちゃえば言えるんじゃないか、ってことです。

 

具体例が上手く思い浮かばないのですけれど……ああ、たとえばこの十年ほど人気を集めている刑事ドラマ「相棒」シリーズは、刑事ドラマとして娯楽を優先させていますけど、でもその時々の社会問題を事件に絡めて「社会派刑事ドラマ」として評価されていますよね。

 

あと「ワールドポリス チームアメリカ」という、アメリカの映画(人形劇)がありましたね。あれはコメディに見せかけて、アメリカの世界戦略だけでなく、それを批判する映画業界すらも皮肉ったものでした。

 

ああいう作品に込められているメッセージは、面と向かって口で言うと鼻白んでしまいそうですが、娯楽作品の一種という形にすれば、少なくともで言うよりはずっとすんなり受け入れられそうな気がします。


なんというか、締切が迫っているのを言い訳にしてえらく曖昧な記事を書いてしまった気がしますが。今回はなんとなく思ったことを書いてみました。