a0002_006977昔から「何を言っても分からないやつは立ちが悪い」とよく言います。


 

 

しかし、これにはいくつか突っ込みどころがあるような気がしますね。

 


ある問題について知識の豊富な人が、その問題について懇切丁寧に説明しても、正確に理解してもらえないことが少なからずある。そういう経験をしたり、そういう話を耳にしたことがあるという人はたくさんいると思います。

 

しかし、このあとしばしば「あいつは何を言っても分からないやつだ。もうこちらから話かけることは無駄だからしないし、あいつの話も聞かない」となるんですが、そ、それはちょっと待って欲しいです。

 

 

「能力」が問題になる場合

まず「あいつには人の話を理解する能力がない」というのは、なんだかおかしな話です。というのも、知識がないのは教わる側なのですから、相手が理解できなかったとしたら「知識がある」はずの、教えようとした側に問題があるという可能性もあり得るからです。

 

たとえば「知識ポイント」というものがあると仮定して、このポイントが100点の人が1点の人に教えると、上手く教えられるとしましょう。

 

knowledge_point問題はここからです。同じように、99点の人が2点の人に教えると、上手くいくと仮定しましょう。しかし、99点の人が1点の人に教えると、上手く教えられない可能性があります。

この時、99点の人が1点の人に上手く教えられなかったとしたら、考えられる原因は次の二つのうちどちらか、あるいは両方です。

 

1:99点の人が100点じゃなかったのが悪い
2:1点の人が2点じゃなかったのが悪い

 

2に注目する人が世の中には多いですが、私は1を軽視するのはフェアではないと思いますね。

 

では実際の教える現場では、どう判断すべきでしょうか。


私はこれはもう、上手くいかなかったら先に話しかけた方が悪いと考えるのが妥当だと思いますね。


つまり「君の言っていることは違う。正しいのはこれだよ」と教える側から教えに行って、上手くいかなかったら、教える側の責任。
逆に「すいません、ここが分からなかったので教えて下さい」と教わりに言って、よく分からなかったら教わる側の責任。

 

 

また、責任の所在を明らかにするだけでは救われないので、その後どうすべきかも、私の考えを書いておきます。

 

まず、教えてあげたいのに上手くいかなかったら、教える側は単純にもっと勉強すべきですね。その問題に関する知識も深めることが必要ですが、分かりやすい教え方についても研究してみるのも良いかもしれません。

 

逆に教わりたいのに上手く理解できなかった場合。まあ、こちらも単純に勉強すべきということにはなります。
が、世の中でいろいろ話を聞いていると「(それまでの自分は全然ダメだったが)良い先生に出会ってから自分は変わった」という、成功した大人の体験談も聞きます。

 

a1640_000214また、ある人にとって、誰が良い先生で誰が悪い先生かは、教わる側一人一人によっても違い、向き不向きとか相性というものがあります。いま巷で大人気の講師だからと言って、その人に合っているとは限りません。

 

というわけで、もし可能だったら、先生を変えてみるというのもありかもしれませんね。ただ、もちろんこれをしょっちゅう繰り返すのは問題がありますので、あくまで最後の手段ですが。

 

 

「政治的な背景がある」場合

これまで「理解する力」「教える力」という軸から「いくら教えても分からない人」の問題を見てきました。しかしこの問題には、もう一つ別の側面があると思います。

 

OOK86_sesyuuseijiwokataru500_trimedつまり「たとえ頭では理解しても、それを認めると自分が損をするという損得勘定から、絶対に認めない人」つまり「政治的な理由で分かろうとしない人」です。

 

このケースを「説得する側」と「説得を受ける側」に分けて、ちょっと考えて見ましょう。

 

「説得を受ける側」は、説得を受け入れると損をするから認めない。ここまではいいですよね。

では「説得する側」はこの時、どうするのが正しいでしょうか?

 

現状では多くの人が「あなたが説得を受け入れないと、あなたは損を免れるけど、みんなが損をするんだよ」と、公の利益を根拠に譲歩を迫る説得方法をとると思います。

 

しかし、ちょっと待って下さい。これは行き過ぎると「自己犠牲の強要」にならないでしょうか? たとえば「大砲の材料にするから家にある金属を全て差し出しなさい」とか「お国のために死んでこい」に繋がっていくのではないでしょうか。

 

公共心と人権の関係は難しい命題で、実際にはケースバイケースで判断すべきですが、単純に数の多さでどちらが正しいかを決めるのは、やっぱりおかしいですよね。もしそうなら、地球で一番正しい国は中国ということになってしまいますから。

 

しかし、実際には「公共心に訴える」よりもっと良い説得方法があるんじゃないかな、と私は思います。

それは「相手が得をする理由を探してくる」というものです。


一見すると相手が損をするように見えることでも、実は得をするんですよ、と上手く納得させることができれば、話はもう少し簡単にいくような気がします。

 

もっとも、実際にはほとんどの場合、言うほど簡単ではありません。


DSC_2774-2ある時は「やらないと損をするぞ」と脅迫のような形になったり、またある時は原発や軍事基地など迷惑施設を設置する見返りに多額の財政支援を行う「札束で殴って説得」のような形になってしまったりと、問題のあるケースは色々あるのですが……。


 

 

 

しかもこういう場合、原発が爆発したり、戦争が起こって基地の周辺の街が被害を受けても「金を受け取ってたんだからそれぐらいのリスクは当たり前」と冷たくあしらわれてしまったりします。


少し話が逸れますが、そういうのはやめた方がいいと思いますね。あまり連発していると今度は誰もお金を受け取ってくれなくなりますし。

それに、迷惑施設を受け入れる自治体としても「お金がないとにっちもさっちもいかない」から仕方なく受け入れているのであって、それを冷たく突き放すのは「お金が無くても生活が保障される」と喧伝する共産主義者につけいる隙を与えるので、好ましくありませんね。

 

話を戻しましょう。というわけで、難しい決断を迫られることも多いですが、大勢の人間が一緒に暮らせば、そういうことは避けては通れないことですから、人権を踏んでしまわないように注意しつつ、前に進んでいきたいところです。

少なくとも「相手に一方的に損を受け入れるように迫る」よりは「相手が得をする理由を探してくる」方が、良いような気はしますね。

 

 

まとめ:まあ、焦らないことですね

最後になってしまいましたが、もう2~3、覚えておいて欲しいことがあります。

説得に失敗した時、よく「あいつには何を言っても無駄だ。俺の話なんか聞く気がないんだ」と吐き捨てる人がいます。

 

しかし、一度や二度説得されたぐらいで、コロリと意見を変えてしまう人なんて、普通はまずいません。説得する側の人だってそうでしょう。

 

もし「この俺が説得してやるんだから、相手は意見を変えて当たり前」だと考えるなら、この人は相当な危険思想の持ち主だと考えざるを得ないですね。

 

また、世の中には面子を気にする人というのもいます。このタイプは、その場でコロリと意見を変えると、周囲に対して威厳を保てなくなるので、仕方なく意見を退ける素振りを見せます。

 

しかし、もしかするとその人は心の中で、説得が正しいことに気づいているのかもしれません。数日、時には数週間、待ってみて下さい。面と向かって「やっぱり君が正しかった」と言ってくれる人はいないでしょうが、もし心の底では既に説得されているのなら、言動がそれ以前とは微妙に違ってくるはずです。

 

私自身、そういう経験を何度かしましたので、これは全くの間違いでもないのではないかな、と思います。

 

「説得はその場限りのものではなく、長い目で見ることも必要」というわけですね。

焦らず、じっくりとです。