まあ、私との付き合いの長い(?)読者の方ならおわかりの通り、私はしょっちゅうことある毎に文句ばっかり言っているタイプの人間なのですが><
今回はちょっと「文句を言う自由」について考えてみたいと思います。
私はこんな性格なので「関係ないんだから文句を言うな!」と言われることが多いです。
似たようなパターンで「文句があるなら○○しろ!」というのもありますが、こちらの場合、私は大抵の場合○○を既にやっているか、すぐに着手しようとして「やめろ余計なことはするなお願いだやめてくれ俺が悪かった」となったりするので、最近は「文句があるなら○○しろ!」とはあまり言われなくなりましたね(たぶんあまりいい状況ではないのでしょうが^^;)……
しかし、どっちにしろ「文句を言うな!」と言われると「なんで文句言っちゃいけないんだろう……」と常々思うのが私でして。
では以下では「関係ないんだから文句を言うな!」と「文句があるなら自分でやれ!」の二つのパターンに分けて考えてみましょう。
*なお、ここで言う「文句」とは、いわゆる誹謗中傷とは明確に異なります。誹謗中傷、特に中傷は、根拠もないのに相手の悪口を言うことです。ここで扱う「文句」とは、論理的に筋が通っていてかつ建設的な批判、と考えることにします。
パターン1:「関係ないんだから文句を言うな!」の場合
……別に関係なくても文句言うぐらいいいですよね(´・ω・`)? 何がいけないんでしょうか。
文句を言うことによって、私は関係ない誰かを傷つけるでしょうか?
答えはノーです。文句を言ったぐらいで誰かを傷つけてしまうほど、私は権力を持っていません。大抵の個人もです。
もちろん、政府高官とか公務員とか企業の経営者など、それなりの公的な役職にある人物だったら、公共の場で不用意に文句を言うのは褒められたことではありません。
……でもね、ネットの匿名空間で文句を言った時にまで「文句言うな」っていうのは、一体何を怒っているのか……よく分からないのですが。
たぶん「関係ないから文句を言うな」と言っている人は「関係ない」という点を重視しているのでしょうね。実際、私もその発言をした人物と話をしてみると
「自分の言っていることに納得した人、賛成した人とだけ自分は話したい。納得できない人、反対する人とは話したくないし、話しても何にもならない」
みたいなことでした。
……うん。やっぱり文句を言っても別に誰かが傷つくわけではないみたいですね。別にいいんじゃないかなあ……
仮に文句を言われることで損をするんだとしたら、やっぱり文句を言われて当然の何かがそこにあるんではないか、と考えるのが自然なような気がするのですが……
パターン2:「文句があるなら○○しろ!」の場合
ま、これはパターン1と比べるとちょっとは分かる気がしますね。口を動かす暇があったら手を動かせ、自分の気に入らないことは自分で変えろ。一定程度は理があることのように思えます。
ただまあ、これも場合によりけりですよね……
まだ「文句があるなら○○しろ!」ならいいですが「文句があるなら○○するな!」というのは立ちが悪いことが多いです。
一番よくあるのは、小説や映画などの感想で「文句を言うなら読むな・見るな!」というやつです……いや……そりゃあ好きな作品を批判されたりしたら反論したい気持ちも分かるけど……読むな・見るなはないだろう、と。作者を兵糧攻めにしたいのかと。
また、作者にとっては批判もそれはそれで大事なので「図書館で借りただけで、買ってもいない癖に文句を言うな!」というのもちとどうかと思います。
同じような話で「文句を言うなら出て行け!」というのもありますね。
ただこれもですねー。人間の世の中って昔と比べてずいぶん豊かになりましたけど、まだまだ誰がどこへ行ってもそれまでどおり生きていけるほど豊かじゃないんですよ。
「この場所・グループのことは気に入ってるけど、気に入らないところもあるな。こうしたらもっと良くなるのにな」と思って文句を言うのは、どんどん認められてもいいと思いますね。
それを「出て行け!」って言ってしまったら、進歩が止まってしまいますからね。
また、自分が「出て行け!」って言われるようになる可能性を考えると、ちょっと文句を言っただけでかんかんに怒るのは賢いとは思えませんね。
もちろん、建設的であることが望ましいですけど、頭の悪い人によるただの批判を頭のいい人が聞いて、解決策を思いつくというのもあるので、具体的に誰かを傷つけない範囲であれば、多少非建設的でもどんどん文句を言うことを認めた方がいいと思います。
まとめ:フリーダム!
というわけで、私は「文句を言う自由」は可能な限り広く認めたほうが、世の中にとっても個人にとってもいいと思いますね。別に破壊活動とかそういう話ではないですし。
ただ「文句を言っている人がいる」というだけの理由で物事を決めてしまうのは、ちょっとどうかと思いますね。
「あの人が文句を言ってきてうるさいからとりあえず言うことを聞いてしまおう」というのでは、もっと多数の文句を集めかねないので……(2013/09 ぐらいに騒ぎになった「はだしのゲン」閲覧制限問題などが代表ですね)
あくまで「文句を言われた」ということは、きっかけ、あるいは参考情報にとどめて、物事を決めるにはもっと確かな根拠や理由、手続きが必要ですよね。つまり「文句を言われる側」も「文句を建設的に生かす力」が求められる、ということでしょう。
「文句を言われた」からといって、闇雲に腹を立てて降りかかる火の粉を払うような対応ばかりしているようでは、絶好のチャンスを逃すことにもなりかねません。