Eugène_Delacroix_-_La_liberté_guidant_le_peuple2013年7月現在、エジプトでクーデターが起きて「あーあ。アラブの春も終わったな」的な雰囲気が蔓延しています。
でもまあ、このへんのことって、一過性のことだとは私には思えないんですね。つまり「多数派の暴力」という、クローズアップされるべき問題を秘めているように思います。


 

エジプトの現状と今後

2013年のエジプトクーデターについてですが、私は「一昔前のトルコに似てるなあ」という印象を強く持ちました。
まあ、あまりトルコを含めた中東情勢には私は正直詳しくないのですが、一昔前のトルコといえば、イスラム派の政権ができるとすぐに世俗派の軍がひっくり返したりしていましたよね。

 

今回、エジプトで起きたことは、近現代のトルコの歴史の繰り返しを見ているようでした……まあ、ここからは楽観的な見方と悲観的な見方ができます。


istanbul楽観的な見方とは、近年のトルコのめざましい成長を見るに、エジプトもいつかはこうなりえるのではないか、ということです。
一方の悲観的な見方とは、エジプトの歴史がトルコのように、何度も何度もクーデターが繰り返される悲劇的なものになるかもしれない、ということです。


 

民主主義とは多数派の専制か?

えーっと、まあエジプト限定の話はこれぐらいにして。今日の本題は「多数派の暴力」という問題についてです。

 

2013/07/11 現在、日本は参議院選挙の選挙戦の真っ最中です。といっても、この選挙では先の衆院選に続き、自民党が圧勝して安倍総裁独裁体制を完成するのは間違いないとみられていますが。

 

Abe_Shinzo_2012_02そんな安倍氏ですが、最近たまに、おだやかではない噂が聞こえてきます。自分の遊説中に反対の声を上げる人たちを「左翼の変な人」呼ばわりして小馬鹿にしたとか「国会議員の三分の二の賛成がなければ憲法改正を発議できないようでは、憲法は国民のものとは言えない」などと、まるで憲法改正に反対する残り三分の一は非国民であるという意識を示唆するような発言があった、などというものです。


 

ここのところの発言だけでなく、安倍氏の政治姿勢には以前から「少数派の切り捨て」が正気とは思えないほどに顕著です。とある民主党の国会議員がTwitterに書き込んだ「民主党を支持する有権者は今となってはすっかり減ってしまったが、この人たちだって、安倍首相、あなたが守るべき国民なのに」といった趣旨の発言は、問題の核心を非常によく言い表しているように思えます。

 

思えば、冒頭に述べたエジプトのクーデターも、そもそもの切っ掛けは、大統領選で選出されたイスラム派の大統領が、強硬なイスラム政治を行い、世俗派の激しい反発を買ったことでした。

エジプトは昨年の争乱で軍部独裁が終わり、民政移行のために大統領選挙が行われたのですが、そこに出てきた軍出身の大統領候補を落とすために、世俗派とイスラム派は手を組んだようです。つまり、世俗派の支持がなければ、イスラム派の大統領が生まれることもなかったわけで、世俗派を無視した政治を断行した結果がこうなるのは、ある意味当然のことだったと言えるかもしれません。
しかし、エジプトでのイスラム派の支持は根強く、今後大統領選が行われたとしても、世俗派が勝つとは限りませんし、世俗派が勝ったとしてもそれですぐエジプト情勢が安定するとはちょっと思えません。

 

また、つい先日までは、中東情勢はトルコの騒乱の話題で持ちきりでした。トルコの争乱もまた、イスラム色の強い首相に対する世俗派の反発という面が強かったようです。ただ、トルコでも「選挙をすればイスラム派が勝つ」という情勢でした。

 

いきなり話が飛びますが、数年前のタイの騒乱も似たような側面がありました。タイでの対立軸は都市派と農村派でした。タイでは議席配分において農村の方が多いらしく、それを利用して首相は農村へのばらまき政策を権力基盤としていましたが、それに対する都市派の不満が爆発して、争乱が起きたようです。しかしもちろんタイでも「選挙をすれば農村派が勝つ」という状態でした。

 

そもそも民主主義とは?

さて、こういう話をしていると「海外には民主主義の原則を踏みにじる不貞なデモ屋が多いようで嘆かわしいな」などという日本人の声が聞こえてきそうですが、果たしてこの冷ややかな見方は妥当でしょうか。

 

そもそも民主主義とは何でしょうか。政治体制のうちの一つで、共同体の立法を中心とする意志決定を(特に多数の)有権者の総意に基づいて決めるものです。

 

Japanese_diet_outside_Kokkaigijido-1946現在「非民主主義的=野蛮で害悪」の図式が世界中の人々の脳内に定着しつつありますが、では、民主主義は、君主制を初めとする独裁または寡頭政治に対して、どういった点で優れているのでしょうか。

 

……すぐに答えられる人はあまりいないのではいでしょうか。実際、私自身、専門的に学んだわけではないので、権威のある答え方はできません。ですが「みんなの意見を聞くことは善だから」などという、循環論法的な答えは、少なくとも避けられると思います。


 

私の答えは「権力者全員が共同体の執政に参加するので、共同体の内部で争いが生じにくく、外敵との競争を有利に戦えるから」です。もっと簡単に言うと「誰かを仲間はずれにすると後が怖いから」となります。

 

民主主義の歴史

ここで、民主主義の歴史を振り返ってみましょう。近代的な民主主義が先進諸国で主流になったのは、乱暴に言ってしまえば産業革命以後のことです。それ以前は貴族制や財産政治(富裕層にだけ参政権がある)がまかりとおっていました。しかし、民主主義は古代ギリシアの一部の都市国家にもあったとされています。

 

産業革命以後の世界と、古代ギリシアに共通するものはなんでしょうか。それが分かれば、民主主義が必要とされる時代の条件も分かる気がします。

 

はっきり言ってしまえば、産業革命以後の世界と古代ギリシアの共通点は「共同体の構成員の中で、権力者が占める割合がやたらと高い」ことです。

 

Greek_Phalanx古代ギリシアの場合、戦争が起きると、ほとんどの市民は重装歩兵となって戦ったり、軍船のオールを漕いだりしました。

戦争の勝ち負けの重要さは今も昔もそう変わらないので、軍役に就いた人間に参政権を認める、つまりほとんどの市民が軍役に就くのでほとんどの市民に参政権を認めるというのは、当然の成り行きだったと言えるでしょう。軍役拒否者や裏切り者を出さないためには、それが最も自然な対応です。

 

Labor_Mobilization_in_Japanese_Empireこれに対し、産業革命以後の世界では、労働者の重要性が高まりました。二度の世界大戦から明らかなように、この時代での戦争は工業力がものを言います。より多くの労働者を工場に動員できた国が有利になるのです。そりゃあ、民主主義になるのはしごく当然です。

 


 

少数派を切り捨てれば武力革命に正当性を与える

このように、民主主義の成り立ちを振り返るとすると、現在進んでいる「少数派の切り捨て」がどれほどの危険を秘めているかが明白になってきます。

 

民主主義を信奉するとは、単純に多数派の専権を承認するということではありません。共同体――国、と言い換えましょうか――国が安定し、外敵との軍事的・経済的競争で勝ち残っていくために、有権者の声に常に応え続けることで、国民を国家の目的に積極的に協力させると共に、国内に発生する反政府の動きから正当性を奪う……それが民主主義の本来の目的です。

 

であるならば、少数派の切り捨ては最もやってはいけないことです。少数派が多数派に切り捨てられていると感じ、選挙での勝利も望めないとなれば「オリンピックを招致しよう!」などといっても国民の三分の一はしらけたりしますし(実際、某国がそうですね)また極端な話「武力革命やむなし」という声に正当性を与えることになりかねません(というか、エジプトがそうでしたね)。

 

繰り返しになりますが「過半数が賛成する方が偉い」というのが民主主義の実体ではありません。民主主義の目的とは第一に国内の安定です。実力による政府転覆・治安擾乱から正当性を奪うことです。だから少数派の意見もちゃんと聞かなければなりません。

 

438px-Meiji_tenno1武力革命に正当性がないのは当たり前だという人が多いですが、そういう人には「よくもまあ明治天皇をそうも口汚くののしれるものですね」と言っておきたいと思います。正当だと感じる環境さえ整えば、どんなことでも人は正当だと感じますし、逆もまた同じです。


 

守るべき平和とは何か

日本の平和がこれからも続けばいいと、私は思います。しかし「独裁者にとっての平和」は、民衆、とりわけ少数派には苦しいものです。それは果たして民衆にとっての平和と言えるでしょうか。

 

平和を守るのはいいことです。しかし「守るべき平和とは何か」を見失ってはいけません。独裁者が好き放題やっているのに、誰も反政府デモをやらない……そんな国を人々が望むなら、それは仕方のないことかもしれません。

 

しかし、誇り高き日本国民なら、少しぐらい道に迷うことがあったとしても、最終的にはそういう道は選ばないだろうと、私は密かに信じています。