突然ですが、大日本帝国広しといえども、私ほどの不敬の輩は珍しいのではないかと存じます。
 もちろん、日本の植民地だったインドやアラブなどにおいては今も反日感情が激しいのは理解しています。が、少なくとも日本本土内においては、私の、日本国民ならば当然期待されるはずの皇室に対する敬愛の念に関して、私を高く評価する知人は一人もおりません。これは断言できます。
 たとえば、こんな話があります。東暦一九三六年。私は十六歳で、そろそろ分別の良さを周囲から期待されるようになってくる歳でした。が、その年の年末、帰省中に起こった珍事は、少なくとも私の村とその周辺において、不敬者としての私の悪評を大いに高めることとなりました。
 中華帝国との緊張が高まりつつあったこの年の年末、よりにもよってそんな時期に、時の天皇、いと高き大正天皇千代田嘉仁陛下が、離婚歴のある新国人女性と結婚するために、こともあろうに皇位を退くことを国民に告げたのです。
「私には、自分が望むように、天皇に相応しい重責を担うことはできない……愛する女性の助けと支えなしには」
 第一報を聞いた時もそうでしたが、右のような陛下の玉音が無線放送(ラジオ)で放送されるに至り、私は大爆笑しました。それはもう、げらげらとかぎゃはははははとかいう品のない擬音語で表すのが相応しく思えるような、気持ちのいい大爆笑でありました。
 誤解のないように書いておきますが、私は嘉仁陛下を嘲笑したのではありません。いや、その気持ちが全くなかったと言ってしまうと嘘になるのですが、むしろ私は、この時嘉仁陛下にかつてない敬愛の念を覚えたのでした。なんだかんだいいつつも、このような破廉恥な醜聞が許されるのは日本の美点であると、私は当時も今も信じて疑いません。
 そもそも、現在の日本帝国千代田朝皇族というのは、もともと中国北部の貴族だった家系です。断絶してしまったそれ以前の皇室の遠縁に当たるということで仕方なく呼び寄せた人だったのです。私はそんな千代田朝の来歴にも、なんだか慈しみを覚えます。
 ちなみに、この皇統が「千代田」を名乗るようになったのは、一九一七年と、かなり最近のことです。それ以前は、元々の中国貴族としての姓「劉」を名乗っていました。第一次世界大戦中、交戦国の名字を名乗るのはちょっとまずいだろうということでひっそりと改められたのだそうであります。言うまでもなく、このような茶目っ気にも、私は愛らしさを感じるのですが、悲しいかな、それを以て私を良識ある皇室の支持者と認めてくれる日本人は、ほとんどおりません。が、私はそのことをさして気にもとめていませんので、お互い様でしょう。

 

 英国では、このあたりの事情はだいぶ異なるようです。ヴィクトリア維新の折りに王室の復権を高く掲げた維新派の影響もあって、英国では王室への忠誠が一般の国民にも強く求められる、特に戦時下においてはそうだった、と耳にしております。
 確かに、英国王室は千年以上も途絶えずに続いてきた希有にして貴重な王朝です。ですが、それにとらわれるのはいささかどうかと、親英家の私でも思わざるを得ません。手前味噌ながら、我が日本帝国のように、どこに出しても恥ずかしいような来歴を持つ皇室を今も戴いている国もあるのですから、もっとあけっぴろげになってはいかがだろうか、などと思います。