私こと桐鞍(きりくら)真は、東暦一九二〇年、日本の関東地方の片田舎に生を受けました。
 生家の周囲は胸のすくような田園地帯で、見渡す限り一面の田畑が広がっていました。日本の田舎の典型として挙げられるような、険しくそびえ立つ山々の合間にやっとこさえた、猫の額のような土地を一生懸命耕す、というわけではなく、産業革命時代に穀倉地帯として計画的に開発された、一面に広がる平地であって、比較的新しい種類の日本の田舎だったわけです。
 では、そんな私の両親は農民だったのかというと、実はそうではなく、私の家はもともとその地域一帯を治める貴族の家で、恥ずかしながら、家柄はとても良かったと言えます。
 何世代か前、産業革命華やかなりしころ、多くの田舎貴族が没落していく中で、当時の桐鞍家の当主は手堅く、それでいて新しい社会の流れを正しく掴んで資産を運用し、家を守ったと言い伝えられておりました。おかげでお屋敷もとても大きく、幼少時代、私は何不自由なく育ちました。唯一、私が家の四男だったため、当主の地位を相続することが望めなかった点に、けちをつけることができたでしょうか。
 しかし、かといって、私がこれ以上望みがたいような、人生の始まりとして最高のものを与えられたわけではありません。いえ、正確には、私は望外の機会を与えられながら、自分でそれをぶちこわしたのです。
 七歳になる年、私は貴族の子弟が集う、日本でも有数の名門校に入学させられ、最初の学年を終えるより早く放校処分となりました。
 今でも私は、その時のことを人に聞かれると、いささか気分を害しながら「私があの学校を嫌いだったのではない。あの学校が私を嫌いだったのだ」と言い訳がましく答えることにしています。というのも、あの年頃の少年には喧嘩など日常茶飯事で、それを咎める大人達のほうがおかしいと、今に至るまで考えを変えていないからです。私は天に誓って、悪質ないじめの類いは犯していません。あれは正々堂々たる喧嘩だったと、今日振り返ってもそう思います。
 ともかく、私は一年もしないうちに家に戻されてしまいました。兄弟姉妹は私を笑い、母は慰めてくれました。しかし、父がとった態度は、当時の私にとって予想外のものでした。
 父は屋敷の最も奥にある間に私を呼び出すと、畳の上に正座して私と向かい合い、厳粛な顔でこう問いました。
「後悔しているか?」
 私はこの問いに面食らいました。というのも、父は昔から厳格で教育熱心な人物だったので、私は頭ごなしに叱られるに違いないとばかり思っていたからです。
 私が答えられずにいると、父は煙草の煙を吐きながら続けました。
「世間では子供子供と、子供はまるで大人とは別の生き物だと言いたげだが、私の考えは違う。お前ぐらいの歳になれば、世間で認められていることと認められていないことの違いが分かってくるはずだ。お前が今回やらかしたことは、世間では絶対に認められていないことなんだ。分かるか?」
 私が唇を強く噛んでうつむいていると、父はその厳粛な声音を保ったまま言いました。
「答えられないのか。それとも、答えたくないのか」
「……お父様」
 私はようやく口を開くことができました。
「お父様。僕には分からないのです。何も間違ったことをした覚えがないのに、どうしてこんなことになってしまったんでしょう」
「分からないはずがない!」
 父は怒鳴りましたが、その厳しさの中に知性がこもった声は、学校の教師のそれとは違う風に響きました。その声は、空気を通さず、直接私の胸に届いてきたかのようでした。
「よく考えてみなさい、真。なぜお前が家族から期待されながら、その期待に応えられなかったのか。この場で考えて、答えなさい」
 私は言われたとおり、じっと考え込みました。
 そうしてとても長い時間が経ったように思えた頃、私は少しばかり考えがまとまったような気がして、口を開きました。
「たぶん……僕は人と上手くやっていく術を、まだよく身につけていないのではないでしょうか」
「なぜそう思った」
「……お父様やお母様、親戚の叔父さんや叔母さんも、腹が立つことはあるに違いないのに、喧嘩をしているところは見たことがないからです」
 父はそれを聞くと、黙って煙管の灰を落としました。
「それだけ分かればいい。下がってよろしい。今後のことは、また伝える」
 私は言われたとおり、丁寧に頭を下げながら、部屋を辞しました。
 私はまだ頭がぼうっとしていて、屋敷の中を行く当てもなく歩き回りました。そのうち、縁側に出て、私は慣れ親しんだ庭園に目をとめました。季節は初春。梅の花が、いじらしくも慎ましく咲く季節です。件の産業革命期の桐鞍家当主は、季節ごとに草花を植え替えるのは費用がかかり過ぎると言って、先祖代々の緑溢れる庭園をほとんど石庭に変えてしまいましたが、梅の木と桜の木だけはそのままにしてありました。この英断のおかげで、私たち家族は今も、春の時期に屋敷にいながらにして花見をすることができます。ですが、この時の私はそのような浮かれた気分ではありませんでした。ただ、石庭の合間合間にささやかながらしっかりと設けられた盛り土の上に、幹を伸ばし、枝を張る、梅の木々の我慢強いたくましさや、何光年もの彼方から届く星の光のように小さく、不確かな存在感しか持たないのに、古来よりこの国で愛されてきた華奢な梅の花が、私の心を捉えて、急に私は悲しくなってきて、泣き出してしまったのです。
 私は溢れてくる涙を拭いながら、頭から叱られた方がどんなによかったろうと思いました。そうであれば、大人はみんな馬鹿なんだと笑っていられたのに。子供たちは本当のものを持っていて、大人たちは偽物しか持っていない、だから自分は子供のままでいい、そう思えたのに。父が自分を叱らなかったばっかりに、私は子供のままでいられなくなった。大人にならなければならなくなった。そのことがとても悲しい。怖い。
 しかし、当時の私はそこまで考えられませんでした。こんなことは、今だから分かることです。まだ小さかった私は、梅の花だけが見守る中で、ただわけもわからず涙を流すしかありませんでした。