驚くべきことに、急造基地に過ぎなかった当時の下関基地には軍医が常駐しておらず、急患は最寄りの病院まで車両輸送することになっていました。が、第一次大戦中に陸軍で衛生兵をしていたという古参の事務官が、傷ついた私を一目見るなり「死にはしないでしょう」と言ったため、基地司令からは、明朝、町の診療所の外来に行けなどと言われてしまいました。病院の救急外来はお前より重傷の飛行士でいっぱいなのだ、というのがその理由でした。司令が立ち去ると、その白髪頭でいかつい顔をした事務官は、下っ端の整備士たちに命じて私を飛行隊本部建物の中に運び込ませると、今度はもうちょっと丁寧に私を診察し、顔の傷はたいしたことないが、足首を捻挫しているようだと言いました。あんな着陸をやった割には軽傷だとも。
 応急処置をしている間にやってきた飛行隊長は一言「飛べるのか」と聞きました。
「添え木か何かで固定すれば問題ないでしょうが、司令はさっき、念のため医者に診せるように仰せでしたよ」
 私と事務官が顔を向けると、飛行隊長は少しため息をつき、
「さっき確認したら、戦闘中に行方不明になった七人の飛行士のうち一人はよその基地に着陸したが機体を損傷し、二人は海を泳いでいたところを救助されたが機体を失った。桐鞍が乗っていた機体も使い物にならん。そして、損失の補充は早くても明後日だそうだ。飛べる飛行機が四機では戦にならない。予報では明日は天候も良くないらしいし、無理を言って休ませてもらおう」
「で、その間に桐鞍は町医者にかかりに行ってくる、と。その段取りで良いと思いますよ」
 私が一言も発さないまま話はまとまりました。私は軍医がいないはずの基地になぜかあった医務室に寝かされ、夜を明かしました。

 

 目張りがされた窓から差し込む陽光で、私は目を覚ましました。陽光の鈍さから、まだ朝早いのかと思いましたが、よく見てみると空は曇りでした。梅雨のぶり返しか何かだったのでしょう。
 いつもなら、夜明け前に下っ端の兵士が起こしに来るのですが、今日は来た様子がありません。今の私は戦力として数えられていないのだと、それによって実感しました。あまり喜ばしいことではありませんでした。国のためとか自由世界のためとかを考えていたわけではありませんでしたけれども、与えられた役割を果たせない状態にいるというのは、口惜しいことなのでした。たとえその役割が戦争だとしてもです。
 その時、医務室の戸が開く音が、続いて軍靴が木の床を叩く音が近づいて来ました。
 顔を見せたのは、飛行隊の先輩飛行士でした。昨日の空戦で無傷だった、数少ない飛行士のうちの一人です。
「おはようございます」
「ん、おはよう。思ったより元気そうだな」
 見舞いにでも来てくれたのだろうか、と私が思っていると、その飛行士は手にしていた紙切れと紙幣数枚を私に差し出しました。
「これは?」
「今日、町に出るんだろ? みんなの欲しい物をまとめておいた。買ってきてくれ」
「……はい」
 現代の防人に文句を言うのもなんだかな、という気がして、私は黙って受け取りました。
 その飛行士が立ち去ってすぐに、例の事務官が朝食を持って現れました。
 朝食をとる私に、事務官は松葉杖と一緒に紙切れを手渡し、外に車を待たせてある、ここに開業医の住所を書いておいたから行ってこい、それと、これが外出許可証だ、と言いました。