これは罰かもしれない、と私は思いました。
 自分は人から多くを奪っておきながら、ぬけぬけと生き延びたから……だから、神様が、平等にするために、ちょいとばかし魔法の杖を振ったのかも。
 そうだ、これはある意味、当然の罰だ……自分はこの国の人から、多くを奪った。時計一つでは、足りないぐらいだ。たとえその時計が、自分の良心そのものであったとしても。
 ああ、せめて時計を盗んだのが、あのシンシアであってくれればいい……私はそう思いさえしました。
 今の英国であの時計を売れば、ちょっとしたお金になるだろう。マリーばあさんをもっといい家に住ませることもできるし、シンシアも、住み込みの仕事なんかしなくてよくなり、おばあさんのそばにもっと長い間いられる。
 上手くすれば、都会に移って、着飾って街を歩くことだってできるかも……そうしたら、金持ちの男に声をかけられて、結婚して、幸せになれるかもしれない。
 そうであってくれればいいのだが、と私は思いました。たとえ、自分が、たった一人、生涯を地獄の底で――愛と暴力が同じになり、人生の美しいもの、明るいもの、優しいものが、ことごとく昔日の思い出と化して消え失せてしまった世界で暮らすとしても、彼女が幸せになってくれれば、それでもいいと思える。
 そう、シンシア。身も心も美しい人。彼女が幸せなら、時計なんかいらなかった。
 この時、初めて私は、自分がどんなにか彼女を愛し、必要としていたかを知りました。
 初めは容姿に惹かれて、頬をはたかれて舞い上がっていただけなのに、あのマリーばあさんを交えて、三人で過ごした一夜から……彼女は特別な存在になっていました。
 シンシアが、どうして特別なのか。それは、彼女が、私がこの戦争で目の当たりにし、自らも手を汚した、罪と罰の結晶であり、暴力に近づいて腐ってしまった愛が、導きゆく終着点だからでした。住む家も共に生きる家族も失い、ろくな食べ物も得られず、それでも現実を受け入れて、誰かに責任を被せることもせず、無力ゆえに、そして、わずかばかりに残った愛ゆえに、懸命に生きることしか知らない……彼女のような幸薄い人が、世界にはどれだけいることか。
 同情していられる立場か?
 桐鞍真。
 お前だって、同じじゃないか。
 そう、私だって、シンシアと何も違わないのでした。愚かで、哀れで、ちっぽけで、世界に振り回されるしかない、ただの人間です。それに、一歩間違ったら、勝者は英国だったかもしれません。シンシアの手で火薬を込められた銃弾が、私の胸を貫いていたかもしれないのです。
 そして、戦争が終わっても、私たちの関係は、何も変わっていないのでした。
 また戦争が起これば、私は殺すでしょうか。シンシアを、殺そうとするでしょうか。
 彼女はどうでしょうか。彼女はまた銃弾を作るかもしれない。あるいは、彼女が母親になったとして、その息子が軍人となり、私や、私の子供たちに、銃口を向けたり、爆弾を落としたりするかもしれない。
 でも、逆に、だから私はシンシアを愛していました。自分を愛するように。いえ、それよりもずっと強く。なぜなら、彼女が幸せになれば、私は、自分がどこかに置き忘れてしまった良心を、子供の頃の無垢で純粋な瞳を、腐ってしまう前の愛情を、取り戻せるからです。
 彼女が幸せになれば、自分が救われたように、私は感じるだろうと確信できました。彼女が幸せになれば、自分が幸せになるだけでは決して得られない安息が――長続きはしないけれども、幼い日に将来を夢見た時のような、一点の曇りもなく晴れ渡った安息が――得られるだろうと思えました。彼女の幸せは、許されることのない罪を背負い、終わらない磔刑にかけられた私に浴びせられる、天からの光でした。
 では、安らぎと良心の最後のよりどころである、ちっぽけな懐中時計を失った私は、代わりに彼女の幸せを――あるいは、許しを、そして、愛を求めるべきだったでしょうか。
 そう……許し合い、愛し合うことができたら、きっと幸せで、救いだったことでしょう。
 けれど……
……そんな都合のいいことが、あるはずがない。
……互いが互いに対して罪を背負っているのに、許し合い、まして、愛し合う?
……そんな大それたことは、許されていない。
……そもそもこれは、天罰なのだから。
 英国の、つまりは、私の人生の、良き部分の最後の証である、懐中時計が失われたこと。それは、天罰以外の何物でもないと思いました。もし仮に、盗んだのがシンシアであったとしても、私に対する判決は、覆らないのです。
 宇宙はきっと、こう言っているのです。
――罪人は、憎しみ合え、殺し合え。憎悪と殺戮の輪廻に、永久に捕らわれ続けよ。

 

 私は、丸五日、軍務を無断欠勤しました。
 最初の日は少しばかり騒動が持ち上がりましたが、二日目からは、それもなくなりました。
 そうして何日経ったか分からない日の朝、後藤が私の部屋のドアの前に立ちました。
「おい、ちゃんと日付は数えているか」
 私は無視して、寝台の上から仰向けに天井を眺め続けていました。
 後藤は、反応を待たずに続けます。
「今日は五日目だ……出かけるなら、俺のところに外出許可証を取りに来い。その際に服装検査をする。ちゃんと髭を剃ってこい」
 それだけ言って、後藤は去っていきました。
 五日目とは、何のことだろう……
 ああ。
 スティーブに与えた、猶予期間か。